ようやく実現できた 父母の引き揚げの足跡確認の旅(後編)
王希奇さんの大絵画「一九四六」
2023年1月11日、日中友好協会東京都連合会主催の、北とぴあでの王希奇「一九四六」東京展。
葫蘆島から残留日本人105万人の大送還をテーマに描いた縦3m、横20mの大作「一九四六」を初めて観た時の強い衝撃は、
今までの様々な絵を観た時の感動とは全く違うものでした。中国の有名な画家・王希奇さん(魯迅美術大学教授)が
1946年の日本人の引き揚げ者の一人一人の、やっと港に辿り着いた時の飢えと疲労の悲惨な表情を、人間としての愛をこめて描いてくれました。
それでも、もうすぐ日本に帰れるという希望が、疲れ果てた大人や子どもの表情に刻まれていきました。
私は歩きながら絵を見て必死に父母や兄・姉を捜していました。せつない程に痩せた、労働で日焼けした厳しい表情は、私の幼い頃の母と重なりました。
王希奇さんは引き揚げの写真集の中の「母親の骨箱を抱えた子ども」を目にし、「戦争では、いつの時代も弱者が苦しむ。子どもたちも戦争の犠牲者だ。
引き揚げの記録は絵にして残しておかなければいけない。」という強い思いで、5年間もかけて描いて下さったのです。
日本政府は、取り残された日本人に現地に留まりなさいという、まさに棄民政策でした。しかし、当時の中国は内戦状態にありましたが、
日本人の引き揚げが完了するまで停戦にする協定を結び、アメリカは軍用船を出し、引き揚げに協力してくれたという歴史の事実も恥ずかしながら初めて知りました。
当時の中国人民はとても貧しく、自分たちの食べものも十分にない中で、食料や家を提供し、引き揚げを助けてくれたのです。
謙虚に歴史を学ぼうと思いました。王希奇さんの「一九四六」を観たことから、どうしても自分の足で父母の引き揚げの足跡を辿りたい思いに火がつきました。
交流と歴史を学ぶ濃密な6日間
葫蘆島市からバスで錦州へ。元収容所跡を見て、さらに高速道を3時間走り、瀋陽へ。
瀋陽では、日中友好の旅の実現に尽力して下さった遼寧省人民対外交流協会の李承志先生をお招きして、
お礼の夕食交流会。日本の長崎の領事をしておられたこともあるという。知的で、スピーチも広い視野で話されて、日本への友好の気持ちをいっぱい語って下さいました。
王希奇さんのアトリエ訪問と夕食交流会
瀋陽では、王希奇さんのアトリエを訪問できました。引き揚げの時の子どもたちの表情をいっぱい描き続けておられ、熱心に説明をして下さいました。葫蘆島から舞鶴への海の風景の大きな絵。暗い波のようでいて、どこかに希望の光のある深い海でした。そして、夜は王希奇・王秋菊ご夫妻をお招きして夕食交流会。夫人の王秋菊さんは大学の日本語の教授で、王希奇さんに私たち一人一人の話を通訳してくれました。ご馳走も食べずに、一生懸命、話を聴いて下さったのでした。王希奇さんは「もう戦争をおこしてはいけない。日中友好のために私も力を尽くしたい」と、ご挨拶されました。日本中の人々に王希奇さんの絵を観てほしい。
再び戦争をしないために歴史を学ぶ
撫順では、平頂山惨案記念館の見学。1932年9月16日、日本軍が抗日集団への報復のために3000名の村民を殺したという現場を、
1970年から丁寧に発掘調査し、そのままの状態を記念館にしている。九州から参加の志和格子さんが折り鶴を供えて下さり、合掌した。
露天掘り炭鉱は当時、東洋一を誇る生産量だったという。たくさんの中国人が過酷な労働で犠牲になっている。撫順戦犯管理所も訪問。
1109人もの元日本兵戦犯が収容されましたが、人間として尊重された待遇を受け、そして罪を認め、もう戦争をしないで平和に生きるための教育を受け、
5年後の1956年、全員無事に帰国したという。
瀋陽では1931年9月18日の満州事変の発端となった柳条湖事件現場に立つ巨大な九.一八歴史博物館の見学。
日本の私たちが学んでこなかった、かつての日本の残虐な侵略行為、偽満州国を建国していく過程がここで学べることに驚きました。
抗日運動が起こり、1945年8月15日の日本の敗戦で喜びに人々が湧き立つ写真。
二度と日本の侵略が起こらないように、平和をつくっていかなければならないことをテーマにした記念館。
一日に何万人も訪れ、子どもたちもきちんと歴史を学んでいるということです。
日本の子どもたちは学ぶチャンスが与えられないまま、無理解から偏見や差別がうまれてくるのだと思います。
学生たちとの友好交流
最終日は国立遼寧大学日本研究所の大学院生との交流会です。数人ずつのグループに別れて学生さんと話しました。
日本語に触れるチャンスがあるようにと、たくさんの本をおみやげにしました。日本への興味は共通してアニメで、楽しそうに話してくれました。
また、私の息子が瀋陽出身の女性と2年前に結婚した話も嬉しそうに聞いてくれました。
私と話した学生は大学院で日本文学を研究していて、野間宏の戦後文学で“記憶”をテーマに論文を書いているとのこと。
川端康成の話もしてくれて、びっくり。日本の私たちが知らなければいけないのに、と恥ずかしくなる程でした。
こんなにも年とった私たちを相手に一生懸命話そうと耳を傾けてくれた学生さんたち、また会えますように。再見。
中国東北地方の食文化の豊かさ
円卓料理でとても食べきれない程のおいしい料理に、毎回感嘆の声をあげる連続でした。野菜料理はすべて油通しをしてあって、目にも鮮やかな緑色。
毎回のように出てくる蒸し餃子が海老・肉・ニラとたまご・トウモロコシ・山菜・ロバ肉と具も豊富で実においしいのです。
魚も丸ごと蒸して味つけしてあったり、揚げてあったり。私がすっかり好物になったのは、東北地方特有の熱々の白菜のスープ。
白菜を甕の中で塩漬け発酵させてつくるスープで、酸味が何とも言えず、体を整えてくれます。深く豊かな文化は、料理の多彩さからも想像できます。
戦争をしない平和外交の努力をしなくてはいけません。草の根活動を続けてきた日中友好協会を大切に尊重し、平和をつくっていきたい。
市民の力を合わせたら決して無力ではありません。あきらめずに明るく笑顔で活動していきたいとあらためて決意しました。
実現できたことのうれしさと感謝
今回のような大きな旅が実現できるようになるまで、各方面への交渉や申請や審査など、想像以上の大変なご苦労があったことをお聞きし、
日中友好協会東京都連合会理事長の前山加奈子さん、事務局長の北中一永さん、日新航空サービス㈱日中平和観光事業室の佐藤洋子さんの、
実現に向けての粘り強いお働きに、深く感謝申し上げます。
父母や兄、姉の引き揚げのルートを訪ねたいという長年月抱き続けてきた願いを叶えて下さり、心からお礼申し上げます。 (松浦幸子)
「動くクッキングハウスin金沢」
11月16日は紅茶の時間の水野スウさんの家で、11月17日は“えがお”を会場にし、SSTワークショップの出前。
スウさんとソーシャルワーカーの馬渡徳子さんが連携し、人と人とを繋いで下さり、なんと今年で17年目となった。
このことは、とても貴重な歴史だと思う。学生さんも参加。子どもが家族の重荷を必死に背負い、家族は気づかぬまま子どもに依存的になっている。
人間関係の重荷を降ろせる場が必要なのだ。加えて能登の震災と水害。みんな、何とか生きのびてきた。
気持ちを語りあえ、聞いてくれる仲間がいてくれることが何よりうれしい。 (松浦幸子)
スウさんのレポートより
今年のテーマは『PTSDからPTGへ』。Gはgrowth、PTGは心的外傷後成長という意味。
深く傷ついて、いっぱい悲しんで、その悲しみを受け止めて認めた時に、次の希望が見えてくる。
心の傷をいっぱい負ったけど、そのことによって他者の痛みに共感できるようになる。そういう意味でのgrowth、成長。そのためには、悲しみを封じ込めないこと。
歯を食いしばって誰にも語らずがんばり続けていると、つらかったことがどんどん蓄積されていって、何10年も経ってから晩発性PTSDという形で出てしまうことがある。
沖縄で精神科医をしていた蟻塚亮二さんはそういうお年寄りをたくさん診てきた。今は原発事故後の相馬に住み、患者さんを一人の生活者として付き合い続けながら診ている。
蟻塚さんの『悲しむことは生きること~原発事故とPTSD』(風媒社)という本を読んでみようと思う。
震災後の能登でも同じように起きうること。悲しみを閉じ込めずに語れる人になれるだろうか。悲しみを聴ける人になれるだろうか。
誰かが語るためには、聴く人、受け皿、そういう関係性が必要なんだろう。
マインドフルネス・リスニングのワーク。二人一組になって、いま感じている気持ちを相手に話してみる。
片方が話している時は口を挟まないで、集中して、ただ共感的な反応だけで聴く。時間にしたらほんの5、6分だった。だけどすっごく長く話した気がする。
介入されずに聴いてもらえていると、あ、まだ話し続けていいんだ、一言一言受け取ってもらえているんだ、って安心感でいっぱい話せた。
お相手からもたった5分でこんなに!と感じるほどの深い話を聴かせてもらった。
午後はSSTのワークの時間。午前中、一人の人にマインドフルネスで聴いてもらった話を皆の前に出して、それが練習課題になった人が何人もいた。
先に、一人に話している時の自分の声を脳が聴いていて、さえぎられずに受け止めてもらえた安心感が背中を押して、
この話、みんなの前でもう一度出してみようって思えたのかな。悩んでいること、迷っていること、つらいことを全員の輪の中に出して、
それに対して松浦さんが答えをくれるわけではない。その人に向き合っていくつかの問いを投げながら、ごちゃごちゃになっている気持ちの交通整理、問題の切り分けをしてくれる。
その人が一番大切にしたいと思っていることは、実は何かな、今から未来に向かって何を練習するとちょっと楽になるかな。
松浦さんとのやり取りの中で、その人が「あ!」と何かに気づく瞬間があって、そこから勇気を出して練習をしてみる。
その一連の流れを輪の中の私たちは見守る、時には練習する時の相手役になる。
今回のワークで得た私なりのキーワードの一つが、『引き受けすぎない』。家族や周りの期待を背負って自分一人で全部引き受けなくていいんだ。
現在、位置確認をして、自分にとって大切なことは何かを見極める、自分からヘルプを出す。
時には公的援助をもっと利用していい。一人で抱え込んで不安マックスだったこの日の仲間に贈られたうたが、
クッキングハウスのオリジナルソング『ほどほど音頭』だったというのも、とても印象的だったなぁ。(スウさんのブログ「紅茶なきもち」より抜粋)