今年も残り少なくなりました。いかがお過ごしでしょうか。
10月23日夕方、新潟県中越地方で大きな地震があり、その後の余震の回数のおびただしさに、どんなにか心の不安な状態を今も抱えていらっしゃることでしょう。心からお見舞い申し上げます。
日を追うごとに、被害の深刻さが明らかになっています。被災地の栃尾市は私の生まれ育った故郷です。中越地方には私の友人や親戚が暮しています。クッキングハウスの賛助会員になっている方々も多いのです。雪が降らないうちに、あたたかい住まいが確保されるようにと願っています。
地震のニュースを聞いて、メンバーの池田和子さんが涙を流し、私達にできることをしたい、とテレホンカードや、赤ちゃんの紙オムツをもってきてくれました。
安藤さんが、きりつめた経済の中から500円をカンパしてくれました。児玉君が「惜しくないよ」と1000円カンパ箱に入れてくれました。岩崎さんは手編みの靴下カバーやマフラーを寒くて風邪をひかないようにと持ってきてくれました。メンバー達の協力がこんなに優しく胸にしみたことはありません。レストラン、ティールーム、スターの一日分の売上をカンパにあてました。みんなで少しずつ持ち寄って一人一人顔の見える関係の賛助会員の方々へ、物資とカンパを送りました。まるでお楽しみ袋のように、チョコレート・あめ・クッキー・お茶・ラーメン・水・マフラー・セーター・シャンプー等今、必要なものが一つずつ入った箱でした。
新潟のみなさんから、返事が届きました。大変な状況の中におられるのに、収穫した米をお礼にと早速に送って下さった下田村の、遠藤さんや大和町の小幡さん。
「箱をあけたら、今欲しいと思っているものばかりが入っていました。お茶が飲みたい、甘いものを欲しいと思っていたので、涙がこぼれました。3日目にようやく電気釜でご飯が炊け、10日目に風呂に入れました。」と長岡市の小林満子さんの手紙。
見附市の山谷さんからも何年ぶりかのお手紙。
「前略クッキングハウスの皆様、十月二十三日の震災の際にはお心のこもった品々とたくさんの見舞金を頂戴いたしまして本当にありがとうございました。人ごとと思っていました災害が、あまりにも大きく我身にふりかかり、気も動転し、度重なる余震に恐怖で生きた心地もしませんでした。
うつ気味になっていた時、皆様からの荷物が届き松浦さんのお手紙といろいろな品々を手にした時、感動と感謝で胸が一杯になりました。私は今まで何も皆様のお役になんか立っていなかったのにこんなに思い、よくして頂いて本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。」みかんと賛助会費まで送って下さいました。
栃尾市のとちの木の家(共同作業所)からは、
「水害地震と新潟をおそった災害の爪跡は栃尾が誇る自然をも変えてしました。道路はあらゆるところで亀裂が入り隆起し、屋根は瓦がはがれ落ちあちらこちらで、ブルーシートが目立ちます。見るたびに心が痛みます。
メンバーさん達には大きな被害はありませんでした。「体調は大丈夫?ストレスはたまっていない?」毎日声かけしております。同じ中越地方に住んでいても被害の大きさは様々です。暖かい食事ができ、屋根の下で眠れる事のありがたさなどをかみしめ再び栃尾の自然が自慢できる日が来ると信じてひとつひとつ前向きに生きていきたいと一同念じております。それも励ましたり応援して下さる皆様のおかげで心より感謝申し上げます。」
中越地方のみなさんから、地震の後の大変さを伝えて下さる手紙が続々と届きました。とにかく、私達がお見舞いを送ったみなさんが元気で、これからのことを前向きに取り組んでいこうとされている気持ちも伝わってきて、ほっとしました。ほんの少しずつのお見舞いしか送れなかったけれど、みなさんが私達の気持ちのプレゼントを、大きな励みと勇気に思って下さったことは確かです。つながって生きていくことの大切さを感じました。
新潟の被災地のみなさん、どうぞ元気をだして雪国の粘り強さと、優しさで乗り切っていかれますように、祈っております。(松浦幸子)
秋のメンタルヘルス市民講座は、お客様やメンタルヘルスを学びたいというメンバー・スタッフで毎回大賑わい。早い時間から来てクッキングハウスの本を手に取りながら講座が始まるのを待っていてくださるお客様、遅くなっても懸命に駆けつけてくださるお客様。皆さん、「学びたい」とい気持ちを大切にして、参加して下さいました。
毎回、書ききれないくらいに感想を書いてくださるお客様が多く、この反響の大きさをリハビリテーション学会で発表することにしました。題は、『クッキングハウスにおけるメンタルヘルス市民講座〜大好評 人から人に伝わる学びの場〜』。発表のキーワードは、"メンバーと共につくる"、"市民と学びあう"、"希望をとどける"の 3つです。
「こころの病気をもつ人との具体的な付き合い方を知りたいという市民・家族のニーズが高かったことや、学習するチャンスが市民にも家族にも少なかったこと、スタッフの実践してきた心理的・社会的サポートの知恵とメンバーの体験という真実を共同作業としてわかりやすく伝えていきたい」という思いから始まったメンタルヘルス市民講座。回を重ねるにしたがって、お客様を迎えるための掃除やケーキづくり、司会、接客、お見送りなどもメンバーが主体となって出来るようになりました。
発表当日には、いつものメンバーの準備の様子を写真で伝えました。真剣にパソコンに向かう眼差し、丁寧に掃除をする姿、お客様の道案内をする笑顔が輝いています。演壇では、スタッフが講座の内容を紹介し、3人のメンバーが自分の体験を堂々と語り、実際に講座に参加した家族・市民の方も一緒に発表。7人が壇上に並んだ姿は圧巻で、当事者の体験となると会場にいる人も身を乗り出すようにして真剣です。
発表のまとめは、「どうして希望をとどけることができたのか」。
@17年間の実践から、安心できるオープンな居場所ができていたこと。その中で、参加者もほっとすることができた。
A自信をとりもどし、回復していくために、表現することを大切にする文化活動を積み重ねてきたので、メンバーが自分の体験を堂々と語ることができた。
B準備の段階から仕事を細分化したので、メンバー一人ひとりが、講座を成功させたという実感をもてた。
C現場で働くスタッフが講師をするので、具体的でわかりやすく、すぐ使えるスキルを伝えることができた。
学会での発表という場を持つことで、様々な角度から講座を見直すことが出来ました。発表という場がなければ気付かずに通り過ぎてしまっことも多かったでしょう。発表の準備を通して、普段の活動を積み重ねることの大切さを実感しました。(小林葉瑠)
いつものように大勢の旅です。今回はご家族の方4名も一緒なので、大世帯の家族旅行のようでもあります。
一般演題での「SSTは私の財産」では、いつものSSTの様子も見てもらうことにしました。先ず「私にとってのSSTの意味」を一言で語ります。「みんなの意見が聞けるので、生活の幅が広がります」「心がリラックスしてくるので、私の心の頼みの綱です」「こんな下らないことを言っていいのかなと思う悩みを暖かく共感して聞いて、一緒に考えてくれるので、私にとって安心できる居場所です」「恥ずかしいなと思う悩みも暖かく練習させてくれる場です」「私メッセージで気持ちを伝える練習ができたり、対人関係を楽にする方法を学べます」
小林君、池田和子さん、斉藤君、後藤さん、丸山君が自分の表現で、的確にSSTと自分との関係を語る姿は、明るく、堂々としていて頼もしいです。
次に、どんな練習をして現実の生活に役立ったかを1つずつ報告してもらいました。
「レストランにいるので、電話の取り次ぎ方を上手になりたいと練習しました。一人暮らしになった時も、役立ちそうです」と小林君。実際に電話に出る場面をやってみせ、拍手をいただく。
「息子夫婦の友人の結婚式に招待されて、うまく挨拶できる練習をして、気持ち良く結婚式に参列できました」と池田さん。
「なかなかクッキングスターのドアを開けて入っていけないでいたのですが、みんなが挨拶して入っていくのを見て、僕も挨拶したらスムーズに入っていけるかもしれないと、練習しました。ずいぶん楽になりました」と斉藤君。
「こんにちは。今晩の夕食は何ですか?」「豚汁よ」と笑顔で答える仲間たちの場面を見てもらいました。会場のみなさんが、我が事の様に集中して聞いてくれ、応援している様子が一場面ごとに起こる拍手から伝わってきます。
「一人暮らしを始めて、淋しいなぁ、と思った夜、どんな風に過ごしたらいいか、みんなに聞いてみて役に立ち、実行しています」「親や友人に手紙を書くことです」と後藤さん。
「僕は母との関係で葛藤がありました。うつ状態がひどく、昼間も寝ていることが多い時、母に責められるのがつらく、わかってほしいな、と自分の気持ちを伝える練習をしました。そして家族SSTも母にすすめて、母が参加してくれました」と丸山君。
実際の練習場面を、母役の池田和子さんが「いつまで寝ているの」と、やって見せてくれました。共感の笑いと拍手です。
その後、今練習してみたい課題は?と聞くと、斉藤君が勇気をだして手を挙げてくれました。「マンションの廊下を掃除している人がいます。前は、それだけで、外に出れなかったのだけど、掃除をしている人に、"ごくろうさま"とあいさつして、外に出て行けるようになりたい」
引きこもりの長かった斉藤君にとって、次への大きなステップになる練習です。丸山君と池田さんが掃除をする人に協力してくれ、マンションのドアから出た斉藤君が「ごくろうさまです」と声を掛けます。「いってらっしゃい」と2人は気持ちよく返事。「黙って通り過ぎていく人が多いのに、声を掛けてもらい、張り切って仕事しよう、という気持ちになりました」
会場からも、「自分から声を掛けるってすごい」と、ほめてくれました。斉藤君は恥ずかしそうに、「やってみようと思います」会場からは、笑顔の拍手でした。パワーポイントで、会場を暗くした発表が続いていましたので、私たちの発表は、会場の雰囲気をほっとさせる役割をしたようです。
特別講演で来日したアメリカのアラン・S・べラック教授も、最後のまとめで「SSTを現実の生活に役立てて使えるようになること」を目標として話されました。まさに私達の発表は、地域での対人関係が快適になるように役立てている、という実践報告でした。
2日目メインホールで、9時30分から「家族支援としてのSST」で、前田ケイ先生と松浦、家族のみなさん4人のデモンストレーションです。毎月SSTに集まる家族のみなさんと「たまには一泊の旅をしてみたいね」と、話してきたのですが、なかなか旅に出るような気分になれない状態がありました。はからずもこんな形で、一泊の旅行が実現できたのです。1回目は、家族のみなさんがメンバーの発表を聞き、「本当に上手だわ、とてもかなわないわ」と脱帽。2日目は、メンバーとスタッフが舞台のかぶりつきの席で家族のみなさんを、祈るような気持ちで応援しています。
それぞれが、子どもの病気との付き合いの苦しかった日々、クッキングハウスのSSTが居場所になり、本音を出せるようになってきたこと。子どもと、程良い距離を置きながら、いい関係が取れるようになってきたプロセスを、丁寧に原稿に書いて下さり、発表。
第9回目のSST学術集会で初めて家族が登場したことの意義は大きいのです。家族もチームケアの大切な一員であることを位置づけました。会場のみなさんは、涙したり、深くうなずいたり、拍手を何度も送ってくれます。
進行役の後藤先生に話しかけることをやってみたお母さんが「初めての人と話すってとても緊張することだね。デイケアで話しかけられないでいるあなたの気持ちが、良くわかったわ」と、仲間ができないで悩んでいる息子に、共感の気持ちを伝えようとするのですが、スムーズにできないことが、返って微笑ましい。お母さんも、一生懸命コミュニケーションを練習しているんだ、という思いが伝わります。
次に、アルバイトが決まり、研修が上手くできるか緊張している娘に、個別SSTでお母さんが挨拶の練習相手になる場面。いいところを見つけてほめている表情に、こちらも気持ちが入ります。
家族にとっては、500名の会場のみなさんの前で、日頃の練習場面を伝えるという大変な緊張だったでしょう。でも、やってみようと勇気を出してくれたこと。自分の思いを的確な言葉で伝えようとしていた真剣さは、みんなの心に深く残りました。これを機に、家族SSTの場が、増えていくことを、スタッフが家族SSTに取り組むパワーになっていくことを願っています。
終了後、いろんな方々から「感動して、涙が出てきました」と声を掛けていただきました。素晴らしい旅を家族の方々と出来たことは、私にとっても心に残る思い出になりました。
家族のみなさん、ありがとうございます。 (松浦幸子)
屋久島空港には、今回私達が3日間宿泊する民宿の柴鉄生さんが迎えに来て下さっており、屋久島で借りたレンタカー2台に分乗して、柴さんの経営する『屋久の子』に行き、その日は美味しい夕食を頂いて、寝ました。夜、寝る前に外に出て、見上げた夜空は、東京では見る事の出来ない満天の星空でした。
翌日は、朝食をとって午前9:00に宿を出て、車2台で柴さんの案内で舗装していない山道をガタゴト揺られて、垂直分布の森に行き、途中から裸足で森の中に入って行ったのですが、森に入る前、柴さんが『入る時に森の神に手を合わせてください。』とおっしゃっていたのが印象的でした。そして『この垂直分布の森を裸足で歩けるのは観光客や他の人達がほとんど足を踏み入れることがなく、ガラスのかけらやゴミなどといった足を傷つける物が無いのを柴さんがご存知だからだ。』と増田さんがおっしゃっていました。
屋久島で有名なヤクスギランドや白谷雲水峡に行くのもいいでしょうが、私は断然、この森を裸足で散策した方が良かったと思います。屋久島の自然を本当に身体全体で感じる事ができ、感動しました。
その日の夜は夕食をとって、笠木さんの20年来の友人でもあり、屋久島で民宿『晴耕雨読』を経営していて、やはりフォークシンガーで『ビッグストーン』という名前のフォークグループのリーダーでもある長井三郎さんが企画して下さった、笠木透&雑花塾そして『ビッグストーン』のジョイントコンサートが宮之浦公民館で行われました。面白かったのは、コンサートの後の二次会というか三次会で、長井さんの友人で屋久島に住むなかしませつこさんという女性が踊り付きで歌ってくれた『青い山脈』の替え歌でした。これにはマイッタ。帰ってからも私の頭の中でずっと鳴り響いていました。結局、私は宿に戻らず、笠木さん、増田さんと共に民宿『晴耕雨読』に泊まりました。
そして3日目。この日は田邊順一さんが一日早めに帰られると言う事で、朝、宿に戻って見送って、朝食をとり、また車2台で湯泊と言う所の海を目前にした、ほとんど混浴に近い、海岸の温泉に行ったのですが、服を着替える所も無く、女性陣は大きな岩陰で、『見ちゃダメー』、『こっちに来ないでー』とキャーキャー騒いで服を脱いでいって、私達男性陣、山田君、斉藤君、小林君達と皆で、『誰が見るか、あんなの見たくもねえ』と言いながら、内心私は見たかったです。その岩風呂温泉も、男性と女性の風呂の間に小さな柵があるだけで屋根も何も無く、女性陣は、入ってからも『ワーワー、キャーキャー』騒いでいて、私達男性陣は、人数的にも負けていたのもあって、そそくさと上がってしまいました。ああいう時は女性の方が強いのは何故だろう。でも天気も良くて、海を眺めながらの露天風呂本当に気持ち良かったです。でも見たかったなあ〜。
そして昼食は皆でラーメンを食べ、宿に戻り、少し休んで夕食をとった後、屋久島の家族会の方々との交流を兼ねて『屋久の子』で、笠木さん、増田さんのコンサートをやりました。その後の2次会では、松浦さんと柴さんが30年以上前、法政大学時代に二人の間で何があったかを笠木さんが追求して、恥ずかしそうに松浦さんが『本当に何も無かったんです。』と言っていたのが印象的でした。松浦さんは学生の頃、今もお綺麗ですが、当時も本当に美しかったそうです。
屋久島の方々は、本当に底抜けに明るくて良かったなあ〜。4日間、お忙しい中屋久島を案内して下さった、松浦さんの御学友でもある、民宿『屋久の子』の御主人、柴鉄生さんには、本当にお世話になりました。61歳でまるで屋久島の仙人のようでした。
私もまたいつかきっと屋久島に行こうと思います。本当に充実した旅でした。『あ〜楽しかったなあ』
古川さんから、「心を病むってどういうこと?」に次ぐ2作目は、読者の皆さんと作りたいので、小関さんも執筆してくれませんか?」と話をいただいた時はびっくりしました。メンバーが本を書くなんて。本のテーマは、(世間の人たちは、統合失調症を代表とする心の病にかかってしまった人たちには生活がない、と思っているけれど、そうではないのだ、ということを、世間の人たちにアピールしたい)ということでした。
自分が病気で一番つらかった頃のこと、そして、クッキングハウスでの活動を通して、「自分なりのペースで生きている」ということを中心に原稿を書きました。と同時に、現在、私たちと同じ心の病で苦しんでいる当事者や、その家族の皆さんにも読んでいただけたら、という思いも抱きながらも書きました。
まだ、本が出版されて1ヶ月たらずで、戸惑いの毎日です。でも、メンバー・スタッフそして、この本の読者から、「この本を読ませていただいて、病気と向き合う勇気が出ました」とか、「この病気でつらい思いをしているのは私だけじゃないと思うと励みになります」といった言葉をいただくと、書いて良かったと思います。
この本の執筆者たちが作っているHPがあるので、こちらの方もぜひご覧下さい。このHPは、「心を病むってどういうこと?」の読者が、メールを通して知り合って、そしてできあがったサイトです。当事者だけで作っているので、更新のペースはゆっくりですが、遊びに来ていただけると嬉しいです。(小関貴雄)
本のHP:統合失調症・精神病や心の病の「あなたと私をつなぐ部屋」
クッキングハウスにはいくつか「学び」のプログラムがあります。「チャレンジ・ザ・調理師免許」もそのひとつです。
週一回、過去の問題集を解いて答え合わせして、合格ラインに届いたとか、もうちょっとのところで残念!とか、皆で一喜一憂しながら勉強してきました。レストランの厨房で小豆を煮ていて、ひとつまみ塩を入れたとき「これって『味の対比効果』だよね。」なんて確認しながら復習していました。勉強したことが実践ですぐ役に立つのが「調理師免許グループ」のいいところです。
願書書類の提出しなどの準備もしっかり各自で手続きして、10月 31日の試験日を迎えました。試験の前日、山田さんは斉藤さんの家に泊まりこんで最終追い込み勉強を2人でしたそうです。期末テスト前の高校生みたいでほほえましいですね。人生の途中で病気になり学びのチャンスがあまりなかった人や、卒業して20年以上たって学生時代なんて当の昔に忘れてしまった私も、ともに学ぶ楽しさを共有していいグループになりました。
残念ながら今回不合格だった人も、次の試験に向けてまた新たに勉強を始めます。「失敗しても何度でもやり直せるから大丈夫!」がクッキングハウスの信条ですものね!(竹内 高子)
猛暑に続いて秋の台風、大地震と続いた大変な年でしたが、皆様はどのような一年をお過しでしたでしょうか。
私にとっては、悲しい試練の年でもありました。クッキングハウスの大切な仲間達が続けて亡くなりました。
私の夫であり、クッキングハウス会の運営委員として活動を見守り、パソコンボランティアとして充実した、ホームページを作成・管理してくれていたセーヤン(正行のニックネーム)は、パラグライダー練習中、山中に落ち、突然、別の世界に旅立ちました。(5月1日)
メンバーの渡辺秀彦君は数年間ガンと闘い、30歳の若さで、6月13日に。レストランの厨房で働く心優しい青年でした。
浅利桂子さんは8月28日。63歳で、全力を使い果たし、みんなに別れを告げました。クッキングハウスの小さな居場所を開くための決意と勇気をくれた人でした。
準メンバーの中原敦子さんは、62歳。11月29日。時々、レストランに食事にきたり、一緒に旅行に参加したり、「青い山脈」や「高校三年生」をうたってくれました。
別れは、思いがけない時にやってきます。だからこそ、私達は共に過した思い出を人生の宝にして、これからもっと仲間を大切にして、今出会っているこの時を貴重な瞬間だと思って生きていきたいです。
そのようなわけで、新年のご挨拶はご遠慮させていただきます。悲しみが、深く胸に刻まれると、こんなつらい思いを他の人達にさせたくないという願いが湧いてきます。世界でまだ終わらない戦争のために、人々が尊い生命を犠牲にしていることが耐えられない気持です。早く終りにして人間がその生を自分らしく生ききれるように、生命を尊重してほしいと心から願います。
私達の足元であるクッキングハウスの活動を、もっと生命を尊び、人間らしく生きる権利を堂々と語れる場にしていきたいと、あらためて思います。そして、前向きに、生きていきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお付き合い下さい。皆様の新年のご多幸とご発展をお祈りいたします。
2004年12月 クッキングハウス会 代表 松浦幸子