クッキングハウスからこんにちは No.98

目次(青字の記事を抜粋してあります)2004年10月12日発行

クッキングハウス17周年…1、目次…1、仲間のしのぶ会報告…2、レポートティールーム3周年コンサート…3、調布FMに出演…4、地方講演旅日記…5、スペシャル健康教室「主治医との上手な付き合い方」…5、「私もひとりで暮らせる」反響が大きくうれしいです…6、いい本が出ました…7、新スタッフ紹介…8、お客様からのお便り紹介…8、イベントのお知らせ…9、講演スケジュール…10、各地からありがとう…11、クッキングハウスが紹介されました…11

クッキングハウス17周年
これからが青春時代
平和と文化をうみだす居場所に

長く暑い夏が去り、本格的な秋です。金木犀の香りが体中をすがすがしくさせてくれます。皆様お元気でいらっしゃいますか。

クッキングハウスは1987年10月にオープンしてから17周年を迎えました。人間の年齢で言えば、青春時代に入るところで、とても若い。人生はこれからなのです。 しかし、精神保健福祉の分野では、長くやっている方に入ります。ということは、この分野が市民権を得て、人間らしく当たり前に暮らしてゆくための活動の実績が、まだ浅いということを示しています。遅れているととらえるよりも、これから私達が新しい、輝かしい道をつけていくのだ。後から続く人たちに悲しい思いをさせないように、と考えた方が希望を持てるし、勇気が湧きます。

自分の思いを語ることがとても上手になったメンバー達とパートナーシップで、どんな社会に変わっていってほしいか、希望を語り続けていきたいです。あせらず、あきらめずに、自分のペースを大切にしながら。  一緒に生きていきましょうと伝えるために、弱い人たちに添った文化をつくることを何よりも大事にし、実践していきたい。

競争の時代ではなく共生の時代をつくっていかなければ、私達みんなの平和はあり得ない。世界中のあちこちで戦争が続き、毎日尊い生命が犠牲になっています。 心の病気で苦しみ、つらい状況を生きてきた私達だからこそ、生命を粗末にしてはいけないこと、どんな状態でも生きていることが素晴らしいこと、平和が大事なことを、自分の言葉で表現していきたい。 あらためてクッキングハウスは心を大切にする文化をつくっていく、あらゆる努力と工夫をしていく、ことを誓います。(松浦幸子)

レポート ふしぎなティールーム 3周年記念コンサート

10月6日に岡田京子さんとたつの素子さんをお迎えして、ティールームの開店3周年のお祝いコンサートを行いました。当日は午前中に岡田さん達も到着して、舞台をセッティング。ティールームの出窓の所に素敵なキルティングの背景がかけられ、いつもの喫茶室とはうって変わってまるで小劇場のよう!メンバーの勝田さんのご家族からお祝いのお花も届いて、会場が一段と華やかになりました。

まずは歓迎の歌「不思議なレストラン」をみんなで歌い、ミニ・ミュージカル「三年峠」の始まりです。
「三年峠」は朝鮮に昔から伝わるお話で、岡田さんやたつのさんは10年も前から、韓国にも行って韓国語でこの劇を上演なさってきたそうです。

お話の内容は、「ここで転んだ者は三年間しか生きられない。」という言い伝えの「三年峠」という峠で転んでしまい落ち込んで病気になったおじいさんが、村の若者の気転によって再び元気を取り戻すというもので、意外な展開と発想がとてもおもしろいものでした。

たつのさんの表現豊かな演技と、温かみのある岡田さんのアコーディオンがとても息が合い、また助っ人で参加したメンバーのあっちゃんやお客さまもいい味をだしていて、魅力あふれる劇になりました。

第2部は詩の朗読を行いました。家族のことを想った詩2編とイラク・アフガンの子どもが書いた詩が1編。会場の何人かの方に朗読をしていただき、感じたことを語っていただくというもので、それぞれの方の思い出や想いが伝わってきて、またさらに朗読に音楽もついてとても感動的でした。

このあとは手作りの「あしたばケーキ」とコーヒーでおまちかねのティータイム。のども潤ったということで、今度はクッキングハウスのみんなが登場して、「八丈富士」「不思議なレストラン」を披露したり、お客様も前に出てリクエストの歌を一緒に歌ったりと、大盛り上がり。

最後に岡田さんの指導のもと「同じ船、同じ海原」をアコーディオンに合わせてみんなで歌いました。3周年をお祝いする会は参加した方みんなが一体となって、楽しくて、心が温かくなるような素敵な会になりました。(中津川典子)

遠くへ行ってしまった仲間へ もう一度会いたいね

大切な仲間達が、続けて亡くなりました。私の夫であり、クッキングハウスのパソコンボランティアとしてホーページを作成してくれたセーヤン(正行のニックネーム)は、5月1日にパラグライダーの事故で突然亡くなりました。62歳。

メンバーの渡辺秀彦君はバイクに乗ってやってきて、レストランの皿洗いをしてくれる優しい青年。数年間、舌ガンと闘いましたが、6月13日永眠。30歳。

クッキングハウスの12畳のワンルームを開けた初日から、今まで活動を共にしてくれたメンバーの浅利桂子さんは、去年夏から、食道ガンの治療にひたすら努力してきましたが、8月28日、全ての力を使い尽し、静かに亡くなりました。63歳。

私達は、みんなで集り、心をこめて三人の偲ぶ会を行いました。私達にできることは、一緒に過した思い出を語ることです。素直に、それぞれが語りました。渡辺君のお母さんも、浅利さんの妹の節子さんも、メンバーの語るひと言、ひと言を、一生懸命聴いてくれ、深くうなずいてくれました。

渡辺秀彦君へ
「煙草吸いながら、楽しい話をしたね。」「ディズニーの旅行で同じ班で見て歩いたね。好青年だったよ。」
「ディズニーシーの一泊旅行で同室、夜ショットバーに行った。気持ち良さそうに先に寝ていました。」
「レストランで皿洗いをした仲間。僕が洗って渡辺君が拭いていた。バレンタインの時もチョコレートもらっていた。いい青年だった。」
「亡くなって時間がたつと、じわじわ悲しさがくる。きっと天国でも、クッキングハウスが出来ているよ。」
「手術の時、痛かったと話してくれたことがある。お母さんも渡辺君も辛かったでしょう。本当に辛抱強い青年でした。」「ディズニーシーに行くというのでおみやげを頼んだら、メモ帳を買ってきてくれた。だから私も、自分の旅行のおみやげにストラップを買ったら、喜んでつけてくれた。」
吉岡君が歌った「君は一人ぼっちじゃない」は、渡辺君のためにつくった歌のようで、涙がこぼれました。
お母さんは、「息子が、みんなの心の中に生きているのだと思うと嬉しい。」
と語ってくれました。

浅利桂子さんへ
偲ぶ会の場にレストランで、穏やかな表情でいつも一心に編みものをしていた桂子さんの写真を飾りました。
「私と松浦さんと三人で、まだクッキングハウスができない頃、高尾山に登ったり、いろんなところに出かけましたね。働いていた時もありました。ショックです。」
「あまり多くを語らなかったけど、松浦さんが話しかけると自分の考えをちゃんと話した。自分というものを持っていました。」
「ベストを編んでもらった。お礼に何か買ってあげるといったら、とんでもない、と言っていた。いい人でした。」
「口数は少ないが、笑顔が素敵でした。」「ディズニーシーで、私と浅利さんと松浦さん3人でグループになり見て回った。私がポイントを案内するととても喜んでくれて、"本当にお世話になりました"と、お礼を言ってくれた。」
「本の中でしか知らないけど、今のクッキングハウスがあるのは浅利さんのお陰と感謝したい。」
「私も会ったことないが、亡くなってからもしのぶ会を開いてもらえて、こんな仲間がいて、思いが語り合えて幸せだと思った。」
「セルフ・ヘルプグループで一人暮らしの知恵を良く語り合った。いろんな知恵を持っていてすごいと思った。だからいい本ができたんですね。」
「福祉展では浅利さんの編んだものがよく売れた。買った人は今も、身につけてくれているでしょう。」
ボランティアの高山さんは「義理の弟の俊雄さんと桂子さんは、私達家族の一員でした。みんなで祝って似合いの夫婦でした。10年間ままごとのような二人の生活でした。正月になるとあいさつにきてくれました。夫が亡くなり、9年間浅利さんはグループホームに住み、応援してきました。みんなに思われて、幸せな人生だったね。」

妹の節子さんは、「みんなに親切にしていただいたこと、本当に幸せだったと思う。姉が発病した時、2か月入院してもらいますと医者に言われ、えっ2か月も‥とびっくりした位でしたから、それからこの病気と44年間も付き合うことになるなんて…でも、色々な尊敬できる人と知りあって、姉が病気をしたから、こんな素敵な人たちに会えたんだ、と今は感謝しています。高山俊雄さんに会えて結婚。いい夫婦でした。クッキングハウスのメンバーの一人としていられたことを心からよかったと思っています。」と語ってくれました。

私は、病気が好転した頃から浅利さんと付き合った日々、結婚生活の応援、浅利さんの、時に見せる百万ドルの笑顔に励まされたこと、クッキングハウスを開く大きなきっかけをつくってくれたことを思い出し、「遠くへ行ってしまった人よ、もう一度おまえに、会いたいのだよ。」とうたっているうちに、涙があふれてきました。メンバー達が、心をこめて語ってくれたひと言にも胸を打たれました。新しいメンバー達が、「会ったことはないけど、一緒にすごしたかった。」と語ってくれる優しさにも感動して、涙がとまりません。仲間っていいな、と思いました。私達は、生命を尊びながら、仲間を大切にしながら、今この時を、一生懸命誠実に生きていきたい、と心から思います。家族のみなさんもつらくなったらクッキングハウスに来て下さい。そして元気に生きていってほしい、と祈っております。合掌。(松浦幸子)

主治医との上手な付き合い方〜健康教室スペシャル〜

9月26日土曜日クッキングハウスが通年で企画している、月1回の健康教室に、特別ゲストとして北里大学東病院の精神科医高橋恵先生が、「主治医との上手な付き合い方」をテーマにお話をして下さいました。明るくさっぱりとした人当たりの高橋先生。「気持ちのいい診療時間を持てるヒントになればいいね。」と丁寧なレジュメを作ってきて下さいました。

印象に残ったお話を下記にまとめてみました。

一つは「主治医は人格をテストされて医師になった訳ではなくて、医療の知識を身に付け、国家試験を受けて医師になっています。病気に詳しく、お薬を調整できる人と考えましょう。主治医と上手くいかない時は、SSTで練習したりして、人付き合いの練習のつもりで話してみませんか。治療に役立つ情報は主治医にどんどん伝えて、患者さんが良いお医者さんを育てましょう!」

「主治医以外のでも解決できることは、友人や家族、作業所のスタッフを頼りに解決していきましょう。」
「薬を飲まなかった時、飲まない方がいいと思った時、先生に伝えてください。ちゃんと飲んでいると思って、治療をすすめているとかみ合わなくなってしまいます。適切な治療ができるようにお願いします。」
「生活が変わったときは、病状の変わり目にもなる時。生活の大きな変化(就職、結婚、引越し、家族の病気や死)は教えて下さい。就職や進学などの決断時は相談して下さいね。」
「一年に一度は日頃のあなたを見ている家族とお会いしたいなぁと、主治医として感じています。」など実際に役立つお話をたくさんして下さいました。

当事者の家族の方の参加もあって、とても充実した会となりました。「先生のご都合のつくときにまた来て下さいますか?」とたずねるとこころよく「また来ます。」と言ってくださいました。また次回を楽しみに終了となりました。(林由佳里)

☆新しいスタッフ紹介☆

9月から、クッキングスターのスタッフとして働かせて頂いています。出身は広島県です。大学卒儀業後、都内の専門学校に通い、精神保健分野の学びをしていました。東京で生活して3年目になります。

ずっと心の中で、福祉の仕事がしたい、たくさんの人と関わって、自分らしさやその人らしさを大切にしながら働いてゆきたい…その中でも心の病を抱えて生活している方たちと関わって働いてゆきたい、そして共に成長していければとゆう思いを抱いていました。実際は専門学校卒業後、出版社にて編集アシスタントをし、時間に終われる毎日を送っていたのですが。

私にとってもクッキングスターは、やっと出合えた「居場所」です。スターでの毎日は、いろんな人と「出会える」素敵な日々です。初心者マークで、スタート地点に立ったばかりの私ではありますが、一日一日の出会いを大切にしながら、これからの毎日も、自分の目で、体で、頭で、いろんなことを見て触れて知って、吸収していきたいと考えています。よろしくお願い致します。(有光梨紗)


<<ホームへ戻る

<<通信一覧ページへ戻る