クッキングハウスからこんにちは No.216
(記事の一部抜粋)

2024年6月4日発行

レポート総会 盛りだくさんの活動報告と希望に向かった今年度の計画
広島、静岡、千葉など、遠方からもたくさんの会員の皆さんが集まってくださって、今年も無事に議案が承認されました。
ご協力ありがとうございました。
昨年度も本当にたくさんの活動がありました。
NHKのテレビ取材と放映、35周年記念のCDの制作、ドラマチックな日常のあれこれ。
年明けの能登半島の大きな地震で石川県内の会員さんの安否が心配だったこと。
ずっと応援したい、だからこそ私たちも、弱い力を寄せ合った居場所が大切なこと。
会員の山﨑亨さんから「補助金の減額があっても、こんなにもたくさんの、しかも健全でクッキングハウスらしい活動をして来たことに拍手喝采です」と感想を頂きました。
計画では、「“利用者とスタッフ”という関係の枠を超え、互いが横並びの関係でありたい」と松浦さん。
メンバーの家富妙子さんは「ピアサポーターになるためにはどんなことが必要なのか、話し合ったり、学び合う機会があるといい。
外部の研修にも参加して学んでいきたいです」と語ってくれました。
将来のリカバリーセンターへの道が見えてきた、希望につながる総会となりました
(事務局 田村陽子)



笠木透さん没後10年記念コンサート「平和を求め続けて」
40名の満席。フォークシンガーのたかはしべんさんと増田康記さんが出演。
草の根で、約5000回のコンサートを45年間続け、子ども、障がいのある人に寄り添い歌い続けてきたべんさんの歌声は、
本当にあたたかく、私達の少し硬くなってしまった心をやわらかく、強くしてくれるようでした。
「おまじない」という曲の「涙の止まる おまじない ねーギュッてして♪」では、みんなで自分をギュッと抱きしめてあげました。
「ふるさと」の替え歌では、「平和でこそ ふるさと♪」と、べんさんと一緒に歌いながら、
世界の中で戦争や紛争が終わらない中、自分や多くの人の深い思い、願いがこみ上げてきました。
笠木透さんが亡くなるまで音楽活動を共にして、私達のうたづくりにずっと伴走してくれている増田康記さんは、
笠木さんが作詞した「ペンペン草」「ひとつぶの涙」等を、きっと笠木さんが見守ってくれている中、力強く歌ってくれました。
(井出歩)


能登の復興を願って ~心のつながりが いったりきたり~
加賀レンコンを9の日のランチに
9・19・29の9の日を、不戦の誓いをした憲法9条を大切に思う日として、
蓮根の穴が9個あいていることから、レストランのランチに蓮根料理を添えています。
金沢の畠山栄美子さんから届いた加賀レンコン、早速に9の日にお出しすることができたのでした。
「元旦の地震のお見舞い、本当にありがとうございました。皆様の応援のお気持ち、“ひだまりの会”にお届けさせていただきました。
3月末より“ひだまりの会”として金沢にお住まいの被災者の方々の傾聴ボランティアに取り組んでおります。
無理せず出来ることをさせていただいております。加賀レンコンをお届けします。レストランの9の日にお役立て下さいませ。」
(畠山栄美子)

珠洲のお米をカンパ米で応援
珠洲の菊谷恭子さんからは、珠洲のすえひろさんのお米が30㎏もお礼にと届きました。とても貴重なお米です。
今年は作付けができるかどうか、心配です。少しでも気持ちを届けたいと、カンパ米としてメンバー・スタッフ・レストランのお客様にも協力をお願いしました。
甘味のあるおいしいお米は好評で、すぐに完売。売り上げカンパ21,300円とクッキーを添えて菊谷恭子さんからすえひろさんに届けてもらえるように送りました。
七尾の半田良枝さんからは、とびきり大きな梅のデザートや早煮昆布、丸玉こんにゃく煮など、どっさりと地震のお見舞いのお礼が届きました。
こうして小さい心のつながりがいったりきたりしています。これからも、私達は応援し続けます。
(松浦幸子)

私のリカバリーの物語(第十一回)
「心の鎖が1つずつ自由になっていく」

私がクッキングハウスに通い始めた頃のことです。
当時のスタッフが「はあ~」と大きくため息をつきながら私の隣に来て座ったのですが、
その瞬間、思わず私は「すみません、すみません!」と謝ってしまいました。
スタッフは驚いて「今のため息は前澤さんのせいじゃないの、仕事がひと区切りついたから、『はあ~』って出ちゃったのよ」と
すぐフォローしてくれましたが、この頃の私は人との境界線が引けていなくて、
そばにいる誰かがイライラしていると「もしかして私のせい…?」と思ってしまうのでした。
もう一つは、同じ頃、具合が悪くなってしまったメンバーのAさんが、松浦さんと話したくて待っていたのですが、
他の人との相談が終わらず、そのうちだんだんイライラしてきてしまったのです。
気持ちが抑えきれなくなり、彼女はテーブルをガタンと倒してしまいました。
「松浦さん、早く来て!私の話を聞いて!」という心の叫びだったのでしょう。
気づいた松浦さんはすぐ彼女の傍に駆けつけ、テーブルは他の人達で元に戻し、その場も収まりました。
私はその時、通い始めてまだ間もない頃で緊張も強く、目の前で大きなテーブルがいきなり倒され飛び上がってしまい、
「私のせい…?」という思いが出てきたのです。
「さっき、あんなことを言ったから?でも…」と気になってしまい、その日の夜、松浦さんに電話をして確認しました。
松浦さんは「前澤さんのせいじゃなくて、今、Aさん調子が悪いのよ」と言ってくれて、やっと安心できた、そんな出来事でした。
私はこういう感じ方を自分の「性格」だと結構長く信じていました。
でも、回復が進むにつれ、こういう傾向は減ってきたことに気づきました。
今は、誰か「はあ~」とため息をついて私の隣に座っても、「どうしたんだろう?疲れているのかな?」と思うだけです。
この変化は、以前は出来ていなかった。人との境界線が引けるようになったからかな、と自分では考えています。
この方が人との関係がスムーズで楽になりました。いくつもあった鎖が、ひとつ外れたような気がしてうれしく思っています。
(前澤真貴子)

ピアサポーターと協働する意義 これからがスタート
ピアサポート研修の最後、フォローアップ研修に前澤さんと2日間行ってきた。
今回のテーマは働くことの意義、ピアサポーターとしての継続的な就労について。
なぜ働くのか、なんのために働くのかを考え、グループワークをした。
私は、生きていくため、社会の一員である実感を持つため、この仕事が好きだから、喜び、楽しさがある、
人の力になるため、自分の力で生活し、自由に人生を楽しむためだなと考えた。
他の方からは、生活していくため、ずっと憧れていた職業だったから、人の役に立つため、自分の成長のため、やりがいがあるなどが上がった。
自分と同じ考えや他の考えもあり、「働く」という根本のところを改めて考えるいい時間だった。
また、継続的に働くために必要なことは、職場以外で相談できる場所を設け、いろんな居場所(仕事と関係ない趣味のサークルなども含む)を持つことだという。
職場内では言えないことがあったり、1つの場所だけでは息がつまってしまったりする。
いろんな引き出しを持つ強みにもなる。そして体調管理に気を付け、個人でできるセルフマネジメントや職場と相談しながら工夫して行うこと。
無理をしすぎているかな?と感じたら思い切って休むほうがいいとお話されていた。
ピアサポーターと協働することで、支援者の独りよがりを防ぎ、支援者の意識や職場全体の文化・風土も変化し、
当事者主体の支援への理解が深まり、専門職がより当事者に寄り添うことができる。共生社会の実現にもつながることだと思う。
(阿部真子)

ティールームから
~どんぐり牧場さん ありがとう~

どんぐり牧場さんは長年、こだわり飼料の卵を山梨県大月から配達してくれていましたが、卵の事業をやめることになりました。
それでも無理を言って、最後までずっと届けて下さっていました。
今後は利用者さん達の生活支援を第一に、グループホームと草刈りや果樹栽培など出来ることをしていくということです。
ティールームのお菓子作りの主力原料だったので、とても残念。
代わりの卵を探しましたが、なかなか見つからず難航しました。
安定した質と量を確保できる条件で探しました。またクッキングハウスのお菓子との相性も合うかどうか、試作も繰り返しました。
結局、コープデリ生協の産直たまごを採用することとなりました。
新しい卵で、また試行錯誤を重ねて、今までと同じ、おいしい味や食感になるように配合を工夫しています。
どんぐり牧場さん、長い間、安心たまごを届けて下さって、ありがとうございました。
(箱山真智子)

レストランから
~地球にやさしい手作り石けんですべて洗っています~

レストランでは毎月、石けんを手作りしています。
「手が荒れない」と好評です。苛性ソーダを水に溶かし、調理で出た廃油を加えます。
3人くらいで交替で混ぜ、空の牛乳パックに入れ、そのまま1ヶ月眠らせると、固形の手作り石けんの完成です。
そこから更に、固形石けんを細かく刻み、水の入ったペットボトルに入れます。そして上下に良く振ります。
これを何回か行い、数時間~数日すると石けん水の完成です。石けん水にすると泡立てる必要がないので便利です。
(実川響太)

クッキングスターから
夕食 語り合い 学びの場

昨年度も、クッキングスターでは各地からたくさんの野菜や海産物等を送って頂き、豊かな食事を皆でいただくことができました。
文化学習プログラムにも多くの市民の参加で出会い、学び、語り合う中でお互いに成長することができました。
一年間の振り返りでは、
調理師の資格を持ち、抜群のセンスで料理を作ってくれた牧原一樹さんは
「おいしくて、体に良いものをつくっていきたいです。料理を作っていると心が安定します。」
公開紹介会で体験を語ってくれた会田慧さんは
「原稿なしで話ができるようになりました。毎回違う話を時間内で話そうと考えています。」
昨年メンバーになり、すてきな笑顔を見せてくれるようになった八木朗子さんは
「楽しく、たくさん食べられるようになりました。」と、語ってくれました。
(井出歩)






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