クッキングハウスからこんにちは No.201
(記事の一部抜粋)

2021年11月28日発行

 
調布市社会福祉功労賞~みんなでお祝い~

会場のクッキングスターは、30名を超えるメンバーやスタッフ、実習生でいっぱいでした。「この賞は、スタッフ、非常勤スタッフ、ボランティア、メンバーの皆さんがいてくれたからいただけたのです」と松浦さん。メンバーの柳川さんの堂々とした乾杯の音頭。一人ひとりからのメッセージはどれも、居場所の大切さや35年の積み重ねを感じる心打つものでした。「私はクッキングハウスに来る前は、お風呂にも入れない状態でした。クッキングハウスに出会い、人生が好転していきました。松浦さんの笑顔に、何度も助けられました。作業所がなかった時代に、精神障がい者の居場所をつくった先駆者。調布市と言わず、日本で表彰されてもいいのではないかと思います」と祥子さん。「渋谷の書店で『わたしも一人で暮らせる』と出会い、クッキングハウスを訪ねたのが始まりです。いつ来ても開かれていて、地域での暮らしを支え、市民とオープンで学ぶことができているのがすばらしいと思いました。メンバーだけでなく、私たち非常勤スタッフ、ボランティアにとっても心の居場所になっています」と山田さん。
会計の野口さんから花束の贈呈、メンバーの中島さんの締めと続き、最後は35周年の舞台のフィナーレで歌う予定の「花たちよ」を、お祝いと感謝の気持ちを込めて歌いました。                                                          (井出歩)



スペシャル旅 石仏 語らいの家 新潟県十日町

雪国にたくましく生きた女性たち
立教大学の学生だった頃、新潟県十日町の鉢集落の石仏(江戸時代中期に民間信仰の霊地となった)の研究調査に出かけた細田伸昭さん(賛助会員)はその後、40年に及び仲間達と共に村人との交流を続けて来られました。聖地である石仏群と、その傍らで暮らす尾身ミノさんの雪国での生活。村の女性達が思いを綴った文集「らくがき」は、40年以上書き続けて来られました。たくましくやさしく辛抱強く厳しい雪国での生活を送っておられることに引き寄せられ、仲間達は2009年にはミノさんの家を「石仏語らいの家」としてオープン。みんなで力を合わせ、守ってきたが、ミノさんは90歳で施設に入居し、家の傷みもひどくなり、今年がファイナルとなった。そのことを惜しんで、たくさんの人達がやってきて思いを語っていかれました。
鉢集落には、廃校になった真田小学校を丸ごと美術館にした絵本作家・田島征三さんの「絵本と木の実の美術館」もあり、集落の人達と「石仏 語らいの家」に集う人達で応援してきたのです。また、十日町全体の自然を活かした「大地の芸術祭」にも広がっている。細田さんの学生時代の仲間の門脇洋子さんは、十日町に移住してきて、この「石仏 語らいの家」を守ってこられた、明るくてやさしい、心配りのステキな女性でした。
早くに山の事故で亡くなったミノさんの夫は、木挽き職人だったという。私の母のノイさんの父も木挽き職人だったのです。ミノさんと母ノイさんの姿が重なり、私の魂の原郷に出会えたようでした。 (松浦幸子)




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