クッキングハウスからこんにちは No.200
(記事の一部抜粋)

2021年10月4日発行

 
動くクッキングハウスin金沢 小松市 白山市

コロナの状況が厳しい制限の中、こういう時だからこそ、コミュニケーションの練習をして人間関係の豊かな繋がりを大切にしたいと、学びたい気持ちは募るばかりです。9月4日(土)~6日(月)の3日間、コミュニケーションワークに出かけました。
一日目は小松市、真宗大谷派の稱名寺さん。昨年、五六さんという熱い志で平和のための活動をなさっていた住職さんが亡くなられ、妻の裕子さんが坊守さんとなり、あとを継がれていました。立派な大きなお寺です。広い土間が改装され、地域の子ども達もいつでも利用できる図書室になっていて、上映会のためのスクリーンもあります。
玄関に入ると大きな額の中に「不戦決議」が。過去の戦争でたくさんの犠牲と苦難を強いたことへの深い反省と懺悔(ざんげ)。そして世界各地で不戦決議の実現に身を捧げておられる心ある人々への敬意。最後に「私達は、民族・言語・文化・宗教の相違を越えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設に向けて、すべての人々と歩みを共にすることを誓うものであります。」と結んでありました。私は、この不戦決議に感動し、しばし立ちすくんでしまいました。
10時から午後4時まで、深いサイコドラマやSSTとなりました。
「松浦さんの真摯なまなざしのもと、まるで五六さんと再会できたような気持ちに。そして私自身の心のありようを確認する時間を持てた事は、不思議と納得できるものがありました。松浦さんから『今日はもう、ゆっくり休んで下さい!』と言われた時にはよく分からなかったのですが、かなり精神的な疲労があったような気がしました。悪い意味ではなく、自分の過去と向き合う事、自分の気持ちを掘り起こし言葉にする事の重大さを感じました。」(佐々木裕子)
「稱名寺さんの、裕子さんのサイコドラマは、五六さんの台詞が私自身の自分の人生の振り返り、そして今から生きていく指針のようにすら感じられ、いまだにのこっています。」
(溝井るみ)
帰りに夕方の日本海の輝く海を、運転手をして下さったスウさんのパートナー・中西さんに見せてもらったことが、うれしいことでした。
二日目は、金沢市上荒屋クリニック。水野スウさんとソーシャルワーカーの馬渡さんとの共働で丁寧に呼びかけをして下さっているお陰で、何と今年は15回目。賛助会員の小矢野さんや懐かしい方々に会える日でもあります。今回は金沢大学の学生さんも二人参加。それぞれがみんな一生懸命生きているからこそ人生の様々な苦労にぶつかります。円陣に囲んだ仲間達が安全で安心して課題を語り、練習しても大丈夫だという環境をつくってくれます。この日もたくさんの人生のドラマを共有し合いました。
スウさんも今のペースを少しゆっくりにしたい課題を。1から10までの活動量の物差しの間を動いて確かめてみて、7.5位にするのがちょうどいいかなというところに落ち着きました。
「『ためしにスウさん、もし2の位置、って考えたらどんな感じ?』ああ、それはやだなあ、今の私には。だけどもし私がもっと弱っていたなら、2で十分、good enoughだよ、って望むかもしれないんだな。その時々の自分に尋ねて、今どこにいる?どこにいたい?って確認することも時に必要なのかも。」(水野スウ)
学生さんも「こんなに人々の温かさに包まれ、承認されたと感じたことは初めてです。」
三日目は、白山市「NPO法人おやこの広場あさがお」のアドバイザーをしているソーシャルワーカーの寺本さんの呼びかけで実現。白山市で子育て支援をしている方々を中心に、何と市議会議員も加わり、30名の大きな円陣。時間の限りどんどん課題練習をしていきました。SSTは支援する立場の人達にも必要であることを実感しました。(松浦幸子)



35周年に向けて うたづくりの会

曲が ドンドン できています
16の詞に曲をつけることになり、曲をつけた人の発表と聴いた仲間のシェア。1つの詞に2人、3人も曲をつけた場合、私達はその内のどの曲が自分は好きかを決めて手を挙げなければなりません。苦しい選択でもありますが、一緒にうたっていくためにはやらなければならない自分自身の決定という体験。ここを乗り越え、曲が決定。
増田康記さんが、この曲を楽譜におこし、メンバーの青木紀子さんがピアノ伴奏を入れ、それを録音してCDにして私達の練習用にする作業をすすめています。すでに出来上がったCDは6曲。もうレストランのランチタイムにも流れ、みんなの耳に馴染むようにしています。“ほどほど音頭”もなかなかいいです。
こうして長いプロセスを1つずつ丁寧にこなしながら、35周年の私達のうたができていっています。 (松浦幸子)



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