クッキングハウスからこんにちは No.170

2016年10月5日発行

 【 も く じ 】(青字の記事を抜粋してあります)

・ 巻頭言:30年目の夢
・ スペシャル歌の会
・ スペシャル旅:祝島
・ ムジカ夏合唱講座
・ 動くクッキングハウスin能登
・ たまりば25周年祝会
・ 30周年に向けて
・ スペシャル夏休み:遊里庵
・ 路地裏フェスティバル
・ 市民大学・ありがとう
・ イベント・文化学習企画
・ 動くクッキングハウス・各地から


スぺシャル旅 はっぴぃあいらんど 祝島”

長い間の念願だった祝島をようやく訪ねることができました。
笠木透さんのコンサートで、何度も語って、歌ってもらった祝島。
原発ができたら、美しい海も汚れ、魚が育たなくなってしまうと、島の人々は未来の子どもたちのことを考え、
1982年から、34年間も非暴力で、たくましく、粘り強く反対運動を続けてきたのです。
月曜デモをしながら、人々の輪を大事にしてきました。

「はっぴいあいらんど祝島通信Vol.1~4」(語り:優子)を岩国の植野泰子さんが送ってくれました。
祝島の人々の暮らしと自然への愛のあふれた語りと、原発をつくってはいけないという
思いのつまった人々からのメッセージの紹介。
そして、美しい祝島の日常の風景の写真。
すっかり魅せられてしまいました。
この本は、優子さんがラジオ番組で
「事実は忠実に、意思ははっきりと、想いはありのままに伝えてきました。
(中略)これからの未来を生きてゆくために、なにものにも立ち向かえる意志とともに、
いろんなものを受け入れる思いやり、慈しみの心を大切にしてゆきたいです」
と伝え続けてきた語りを4冊にまとめたもの。

ついに、優子さんは愛する祝島に移住し、民宿くにひろの國弘秀人さんと結婚し、
民宿の女将さんになったのです。
祝島の優子さんに会いたい思いが募り、文通もするようになり、実現したのです。

瀬戸内の西端、祝島は周囲およそ12㎞、ハートの形をした小さな島。
250世帯、420人が島の1か所に固まって暮らしています。
今、小中学校には子どもがいません。
緑の祝島がまっすぐ前方に見えてきたときは、胸が高鳴りました。
こんな美しい島の真東の田の浦に原発ができることなんて、絶対考えられないことだと納得しました。
島の人々は昔から真東に向かって、朝祈ってきました。お墓も真東に向かってあります。
もし、原発ができたら、毎朝原発に向かって拝むことになるのです。
原発はいらないという思いは、島の人々の素朴な、生命の根源から発しているのです。
日々の暮らしの中から、粘り強い反対運動を続けてこれた訳が、心から理解できます。

元気な豚に出会えた
祝島では、自然エネルギーの実践や、循環型自然農法にも積極的に取り組んでいます。
島に上陸するとすぐに軽トラの荷台に乗り、氏本さんの農園見学です。
竹でつくった全て自然に還るトイレ。
遊んで草を食べ、田畑を自然に肥えさせてくれるという元気な豚に会いました。
「豚は給料も要求もしないし、不平も言わないし、最もいい使用人です」と
ユーモアで語る氏本さんの顔は、とても安心感があり、素敵でした。

山戸孝さんのお話(上関原発を建てさせない祝島島民の会)
 島の外で働いていたが、2000年の神舞いの年に帰ってきました。
原発に頼らない地域おこしを考え、
おいしいと好評のビワや島のひじきをインターネットで販売する方法を考えました。
「祝島市場」です。
ずっと非暴力で、一日でも長く、原発建設を遅らせる活動をしてきました。
そのうちにきっと、日本の社会が変わっていくだろうと。
3.11があり、いったん計画は停止になり、大きく状況は変わったかに見えました。
今年7月には、3人の裁判官が田の浦の現地を視察に来てくれました。
住民80人の拍手に迎えられました。
その矢先に、山口県知事が埋め立て工事免許の延長申請を受理して、
また状況が変わってきています。
人口も高齢化し、4年に一度の神舞いも人手が足りず、ギリギリのところだという。
それでも3人の子育て中の山戸孝さんが、未来を展望し、運動の方向を見据えている姿に、
私たちも一緒に真剣に考えていかなければと思った。

 さて、夜になり、やっと会うことのできた優子さん。
練塀の路地を懐中電灯をつけて、宿に迎えに来てくれました。
なんと素朴で、なんと穏やかな女性だろう。そして、パートナーの國弘さんも物静かなステキな方。
冷えたびわ茶が実においしく、ずっと会っていたかのように語り合うことができたのでした。

祝島は、私にとって希望の島です。                 (松浦幸子)




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