〜市民と共に学ぶ〜気持ちのいいコミュニケーション・レベルアップ in石川
石川県津幡町の地域包括支援センターの主催で、連続3年目の「ボランティア講座」。「気持ちのいいコミュニケーションを学びましょう」と、SSTを取り入れた講座をやってきました。
60名が円陣になって、相手をほめる練習や共感的反応を送る練習。「コミュニケーションは、練習すれば上手になる」ことを初めて知って、目からウロコだったという人も多く、回を積むごとに、大きい円陣でも自分の気持ちをうまく言葉で話せるようになり、シェアリングも心地いいものになってきました。毎年、楽しみに待っていてくれる市民も増えました。
とても驚いたのは、心の病気を体験した当事者たちとボランティアの方たちが、この一年間、毎月交代してリーダーをやりながらSSTを続けてきたということでした。やっていくうちに、これでいいのかな、と質問したいこともいっぱいでてきて、今年の私の講座を待っていてくれたのです。
座の翌日9月26日(土)、休日の町役場の会議室で、SSTをやることにしました。なんと、地域包括支援センターの課長さんまで、市民の一人としてTシャツ姿で参加。「主治医との面談で緊張しないで話したい」、「家族に優しくしたい」、「会いたくない人に会ってしまった時のうまいかわし方」、「父との過ごし方」など、たくさんの生活の中の課題が出てきました。ひとつずつ丁寧に、SSTの基本を確認しながらの練習。
練習課題を具体的にするには、今ちょっと努力したらできそうなところから。
・ 役割をとってくれる人を決める
・ 練習する場面を決める
・ ベストを尽くしてやってみる
・ よかったところを見つけてほめる
時々、こんな基本をもう一度確かめていくことが大きな安心感になり、「また続けていこう」とグループの意欲につながっていくことがわかりました。一年間も、仲間の力を合わせてSSTをやってくれた皆さんに、私の嬉しい気持ちをいっぱい伝えて帰ってきました。来年の再会を約束して。
次の会場に移動するために迎えに来て、少し見学してくれた金沢市自立就労支援センター「いしびき」の林田さんは、「いいSSTだね。こんなSSTをやれたらいいなあ」と言っていました。サポートするソーシャルワーカーの、本音の気持ちです。共感しあって、応援しあいながらの学びには、感動があるのです。(松浦幸子)
市民が育てたコミュニケーション講座in川崎
川崎市幸区の幸市民館に集い学ぶ「わたぼうし」の市民たち。互いに保育もしあいながら、コミュニケーションを学んできました。昨年は、一年間学んだ成果を公開講座で披露。そして、今年は、自主講座で毎月一回、私メッセージで気持ちを伝えることや、相手のいいところを見つけてほめることなどを練習し、2年目の成果を市民に公開したいと企画。
会のリーダーの倉方さんは、クッキングハウスのSSTやサイコドラマに通い続け、自分が学んだことを仲間たちに伝えてきました。そして、今回の公開講座の予算を獲得するためのプレゼンテーションをしようと、6月13日、新潟県関川村「ままや」まで来て、SSTのデモンストレーションをビデオに撮ってくれたのです。その行動力と熱意に、私のほうがいっぱい励まされて、元気をもらえているのです。
こうして、公開講座の予算も取ると同時に、社会教育としての位置づけもしてくれたのです。
10月3日(土)の公開講座には、メンバーの佐藤真也さん、斎藤敏朗さん、あい子さん、江田宏美さん、スタッフの有光さん、田村さんも応援に来てくれました。幸市民館の職員の小川大輔さんは、休暇をとり市民として参加してくれ40人が小ホールいっぱいの円陣になりました。
ウォーミングアップでは、サイコドラマの増野先生に教わった「もうひとつの地球」で、世界中の様々な土地に移動し、楽しそうなメッセージがたくさん語られました。
「ハワイの浜辺でゆっくり海を見ています。一緒にここに座ってみませんか」
「パリの美術館で学芸員をしています。美術館にぜひともいらっしゃい」などなど。
そしてSSTの練習課題は、佐藤真也さんが就職面接を受ける練習。面接官の役をしてくれた平木さんは、真也さんの誠実な態度に思わず「合格です!」と答えてくれて、ほっとする練習になりました。
こんな大勢の場に初参加の江田さんは、
「家計簿をつけて半年以上経ったが、少し気持ちがダウンしているので、再びつけ続ける意欲を持ちたい」と、勇気を出しての課題練習。「はいっ」と手を上げてくれた時の嬉しかったこと。自分からやってみようと行動を起こした時、もう8割は問題解決しているのです。
斎藤君も、「コミュニケーションの力をつけることが、これからの自立への課題であることを自覚するようになった」、と心の成長を語ってくれました。
「わたぼうし」のみなさんとの学びの交流が、これからも続きますように。松浦幸子)
〜 松崎 運之助(みちのすけ)さんの故郷・長崎 路地裏散歩 〜
ハッピーアワーのプレゼント
山田洋次監督の映画「学校」(『学校』幻冬舎文庫)のモデルの一人にもなり、長く夜間中学の教師をしてきた松崎運之助さん。私のかけがえのない友人だ。最近の著書『ハッピーアワー』(ひとなる書房)は、読み終えるとほっとして人間の弱さも愛したくなる本だ。表面から見て、数値で測れないものがたくさんある。見えないものを大切にして、幸せだと感じることができたら、どんなにいいだろう。松崎運之助さんの『ハッピーアワー』から、優しさをいっぱいもらって、幸せだと感じる時間をみんなと分かち合いたくて、毎週金曜日の夜のレストランは「ハッピーアワー」になった。
かねてからの念願だった、仲間たちとの長崎の路地裏散歩が実現した。松崎さんの故郷・長崎へ出かけ、著書『人生』『母からの贈り物』(ともに教育史料出版会)を読み想像をふくらませていた路地裏を歩きまわった。旧満州から引き揚げてきた母と運之助さんと妹たちが暮らしたところは、歓楽街の、住所もないバラック小屋。ハーモニカの口のように路地があり、小さな飲み屋街が網の目のように広がっている。今は、時代の流れですっかり影をひそめている路地裏。ここを歩いていると、かつての少年・運之助にひょっこり会っているような懐かしい心地になる。
長崎は、坂の多い石畳の街。47%が斜面だという。その道を松崎さんは、いとも軽々と歩いていく。私たちは、ハアハア息をはき、汗だくでついていく。神社の石段の上は、子どもたちが夕方仕事から帰ってくる母を待っていたところ。そこからは、青い空と港が見える。青い空と同じ、一点のくもりもなく澄みきっていた母と子の心の描写に、涙する場面だ。
神社の焼餅やさんは、江戸時代から続く店。ここで手作りの、たっぷりと練りあんの入った焼餅をいただき、一息つく。長崎名物のどん山を目指して坂道を歩く。松崎さんが、妹たちを迎えにいった保育園は、唐人屋敷の中にあり、昔から変わらずお参りに来た人と園児が遊べるようになっている。コミュニティ住宅(公営住宅)も、ひとり暮らしの人や障害者が孤立しないように、建物全体の廊下が地域の人たちの通路にもなっている。最初、他人のアパートの廊下に松崎さんがどんどん入って行くけどいいの?と思ったが、つながって暮らせるようにと考えての、長崎らしい配慮の設計なのだ。
どん山の頂上で、案内役として迎えてくれた長崎の友人たちも一緒の、なんと40名を超える自己紹介。造船所で働いていた頃の仲間や、定時制高校時代の仲間たちが、松崎さんが「帰るよ」と連絡するとみんな集まってくれるのだという。
松崎運之助さんの豊かな感性を育ててくれたのは、長崎の街と、母と子の貧しいけれど自立した暮らしと、長崎の仲間たちなのだと実感。育った環境が、その人の原点になって人格をつくっていく。松崎さんの見ていた風景は、路地裏の街と外国の船が行き来する港。だから松崎さんは、どんな人も受け入れてくれる大らかさと、気持ちをわかってくれる心のひだがあるのだなと思う。
そして、夜の宴会の〆は屋台。「たまりば」主宰の西野さんが「長崎に来たら屋台でラーメンを食べなくちゃ」、と明るく言うので私も屋台デビュー。公園の中で、夜空を眺めながら、そこで出会った人と九州弁で語る松崎さんの話を聞いているだけで楽しい。
〜涙なしでは聞けなかった松崎さんの語ってくれた話〜
中学から22歳で東京に出るまで、ずっと育ててくれた造船会社の先輩たちがいる。組合への差別やいじめがひどく、会社全体の花見や旅行からもはずされ仕事をする環境だった。夜9時まで残業してそれからビラを作り、早朝、船の桟橋でビラ配り。でも誰も受け取ってくれず、無視される。自分が「みんなのためにやっているのに、なぜ受け取ってくれないんだ」と腹を立てると、先輩が諭してくれた。「ビラを受け取ってもらえさえすればいいのか。ビラを受け取れない事情をいっぱい抱えた人がいるだろう。自分がやったことの反応が返ってくることを期待してはいけない」。そう語る先輩は、一生、管理職にもなれず、現場の一番危険な作業に回され、いつクビが飛ぶかもわからないギリギリのところで活動している人たちなのだ。その先輩たちが、長崎に帰ると、「運之助、帰ったか」と迎えてくれる。チェックの厳しい工場の中を、ヘルメットをかぶせ、作業着を用意して見学させてくれた時、頭の上のクレーンに乗っていた先輩が、「運之助!」と呼び、降りてきて出口まで一緒に歩いてくれた。こんなことが見つかって先輩のクビが飛んでは大変だと、「戻ってください」と頼むと、「仕事はこれからもずっとやっていくことだけれど、運之助に会ってこうして歩くことは、今しかできないことではないか」、と先輩はきっぱり言った。
こんなことを語る松崎さんの顔も、涙でクシャクシャになっていた。「西野君や松浦さんが大変なことをしているのは、そのことを語らなくても十分にわかっている上での“路地裏”の付き合いなのだよ。でもね、大変なことだけに向き合っていると、心が乾いてくることがあるからね。だからね、自分のためにこういう旅が必要なんだよ」と、最後に語ってくれた言葉。わかってもらえているということが、こんなにも深い安心感になる。
こんな松崎さんを育んでくれた長崎の街と、そして仲間たちを、私は大好きになった。(松浦幸子)
防災夕食会の開催
毎週金曜日の夢tomo夕食会では、8月21日に「防災夕食会」を開催しました。
「災害時に備えて、何を用意したらいいか、どんな防災用品が売られているか知っておこう!」と、みんなで話し合って決めたことです。災害時に困らないように、各所には夢tomoで作った防災の呼びかけビラを配布。当日はみんなでスターに集合して、近所のスーパーに買い出しへ。お肉や魚の缶詰、即席お味噌汁、陳列棚に乾パンも発見。これも!次々カートに入れていきます。
買ってきた缶詰を、一人分ずつのお皿に盛り付けての夕食会です。「アラカルトみたい!」と、普段は食べつけない缶詰料理に興味が湧きます。感想では、「缶詰が思っていた以上に美味しくてびっくり!特にお肉は見直しました。」「いざという時、何を食べればいいのかわかりました。最低限の防災グッズを家に用意しておきたいです。」と、学びも得られました。災害時に備えて、防災意識が高まった一日となりました。
夢tomo主導〜助け合いながらのバレーボール大会 〜写真家・田邊順一さんにも助けられる
スポーツの秋は、みんなで団結して汗を流そう!と、9月18日、多摩地区バレーボール大会に行ってきました。今回は、夢tomoの活動として出場を決め、メンバー主導で大会に向かいました。実行委員会には池田和子さん、佐藤真也さんが参加。横断幕も手作りして準備を進めました。「体調が悪くなるかも知れないから、その日になってみないと出場できるか分からない」「運動は苦手だから」と、なかなか参加者が決まらず、祈る気持ちでメンバーを募る日々が続きました。
当日はスタッフ竹内・有光とボランティアの木戸さんも選手で参戦。あと一人足りない時、みんなの姿を写真に撮るために来てくださっていた田邊順一さんも、抱えていたカメラをベンチに置き、着ていた上着をさっと脱ぎ、自らコートに。ボールを受け止め、見事なレシーブを打つ田邊さんの姿。さすが写真家!アクティブ!と、感嘆しました。
試合を終えて、「大会に当事者代表として関わったのは初めてだったけど、いい経験になった。試合でチームワークができて良かった」と、佐藤さん。「試合を終えた時、私たちは夢tomoのチームとしてやり終えた達成感でいっぱいになり、勝敗に関係なく『やったね!』と同じ気持ちでみんなが一つになったと感じました。人と人との壁が取れた気がしました」と、山根さん。『「やろう」という意欲、活力が私を支えてくれた。』と池田和子さん。田邊さんを巻き込みながら!?も、夢tomo理念の言葉「自分でできる事は自分でやりながら、できないときは他の人に助けてもらう、自立しながらも助け合える関係」の実践の場となりました。
(有光梨紗)