8月7日〜11日 韓国の晋州(チンジュ)教育大学でキミ子方式の日韓交流大会が開かれました。釜山(ぷさん)から約2時間バスに乗ると晋州の町です。川が護岸工事をしていないので自然な流れがあり、かつての日本の田舎の風景のようで、なんだか懐かしい気持ちで川を眺めました。
絵のモデルは身近にある雑草や魚です。釜山の市場に豊かに並んでいた生イカや鯖やタコ、カニなどの海の幸、もやしやキュウリやナス、トウガラシ、田んぼの畦道に咲く雑草の赤マンマやペンペン草。同じアジアの国同士として、絵のモデルが共通だとわかって嬉しくなりました。(これがヨーロッパだと絵のモデルが違ってしまう)
晋州教育大学では、教師になるために学生達が学んでいます。美術の教師や絵描きのプロや学生が参加し、キミ子方式を吸収しようと情熱いっぱい。レポート発表でもどんどん質問を出してくれます。松本昭彦先生にキミ子方式を教わった国立愛知教育大学の女学生・伊藤さんが晋州大学に留学し、授業で紹介したところ、学生達が生き生きと描いていたのだそうです。その様子を見ていた担当教授のユン先生が、絵の描き方が体系化されていると理解して、自ら日本に来てキミ子方式の夏の合宿研究大会(奈良と埼玉)に参加されて学び、韓国に招待してくださったのです。そして全ての通訳を1年間の留学でハングル語を覚えた伊藤さんがやってくれたのです。キミ子方式の本も伊藤さんが翻訳して韓国で出版されたのでした。本当に凄いことです。一人の学生の行動が、そして一人の先生の行動が、国際交流につながったのですから。
<チマチョゴリを描く>
街の中でのスケッチはあまりにも暑いので、市場で買ったチマチョゴリを大学の美術室で描きました。私の買った白い上着ときれいな緑色のスカートに刺しゅうのあるチマチョゴリを、みんなに描いてもらいました。その国の民族衣装の美しさに感動しながら丁寧に描いていく時間は楽しく平和に満ちた時間でした。
<豊かな食事>
食事は50人位で街の食堂に。ユン先生の配慮で、海鮮料理、焼肉、麺類と、いろんな店で交流しながら美味しく食べました。メイン料理の他に沢山のキムチやナムルが並びます。こんにゃくのゴマ和え、トーフの白和え風、山芋ののり和え、きのこのナムル、大根・キュウリ・白菜・ニラ…あらゆる野菜がキムチになって健康的。焼肉も、何種類もの野菜に包んで食べます。鯖やエビのキムチスープも、この国では銘々に取り分けたりせず、みんなで1つのお皿から箸とスプーンを使って取って食べます。ヨーロッパの食べ方と全く違うところです。これが仲良くなった印だそうです。食事が、共に生きることの素晴らしいコミュニケーションになっているのです。改めて韓国の文化の深さを感じました。
私は隣に座った女性と筆談をしながら、言葉を教えてもらいました。ex.)箸:チャッカリ、スプーン:スッカリ
朝食の食堂は3,500ウォン(約370円位)です。あさりのおかゆにたっぷりのもやし、玉子、ネギが入っています。コチュジャンや小エビの塩辛を入れ、ふうふう吹きながら熱いおかゆを食べました。小皿に大根キムチや白菜キムチ、らっきょう漬けが付き、おかわり自由。安くて体が温まっておいしくて。2日酔いにもいい健康的な朝食を、にぎやかに食べて仕事に出かけていく韓国の人たち。
<友達になるために>
在日のオモニ達が年をとって、一人では里帰りができない。川崎ふれあい館で付き添いのボランティアをしている鈴木さんは、何度も下見がてら韓国にきているのだそう。普段はオモニたちにキミ子方式の絵も教えて喜ばれているという。鈴木さんの案内で、朝鮮の人々の長い苦難の歴史の跡も訪ねることができました。日本が侵略していた時代のことは、釜山近代歴史館にたくさんの資料がありました。
朝鮮内乱の時代、生きていたらまたこの階段の前で会いましょうと約束しあって散り散りになった場所が「四十階段記念碑」になっていました。しばらくここでスケッチをしながら当時の人々の悲しみに思いをはせました。ベンチに座っていたおじさん達が声を掛けてくれたり、絵をのぞきこんだり、とても和やかな時間。
絵を描くことが専門家のものだけでなく、普通の市民の文化になれたらいい。絵に対してコンプレックスを持たず、「私にも描ける」と自信を持てたらいい。そうなるための絵の考え方や絵を描く方法を提唱したのが、キミ子方式なのです。韓国の人達と一緒にキミ子方式を学び描き、一緒に食事し、友達になりたいとお互いに心を寄せ合った日韓交流大会でした。飛行機で2時間余りの隣の国。同じ米を食べる私達。もっと大切にして、いい友達になりたいと思いました。(松浦幸子)
今回で3回目となる織座農園への旅です。女性のバスの運転手さんも、可笑しくて肩が小刻みに揺れてしまう車内の一芸大会。コンクリートの灰色の景色から、木々の緑と広くて青い空が広がる景色へと移り変わる様。いつもの織座への道のりです。天気にも恵まれ、初日にはジャガイモ掘り、二日目朝には枝豆と、2度の収穫が体験できました。
織座の畑は除草剤を使わないので、雑草がボウボウ生えています。明らかに他の畑と違うのです。今回のゲスト参加者で家庭菜園を始めた柳原三太郎さんも、そんな織座の畑の様子にびっくりしていました。ジャガイモ掘りも、芋を掘る前に自分の背丈ほどもある雑草を、片っ端から引っこ抜くことから始めなくてはなりません。そこは人海戦術のクッキングハウス、雑草を抜く人・芋を掘る人 2人一組でチームワーク良くこなしました。芋を傷つけないようスコップは使わず大事に大事に手で掘ります。ふかふかとした柔らかい土なのですが、意外に指の力が必要です。窪川さんは農園を始めた時、腱鞘炎になったそうです。
夜の交流会はいつもとは全く違った展開となりました。窪川さんや若いスタッフ、研修生のお話を聞こうと質問コーナーを始めたところ、次から次に質問が飛び出して気づいたら9時半を廻っていました。
メンバーの学習意欲の高さに驚かされました。話の中で印象に残った言葉が2つありました。一つ目は幼少の頃から織座の野菜の利用者で20歳になる青年の言葉「都会にはたくさんのものがあるけれど、大事なものが無い。織座にはたくさんのものはないけれど、大事なものがある。」二つ目は窪川さんの言葉「“地球に優しい”なんておこがましいです。地球が私達に優しいのです。」未来にツケを残してはいけないと、強い信念と揺ぎ無い確信のもとにスタイルを貫く窪川さんですが、その主張は決して押し付けがましくないのです。地球に対しても人に対しても愛が有り、強さと優しさが共生しています。そんな中で育った愛情たっぷりの野菜たちを、レストランで私達も愛情たっぷりに料理して、多くのお客様に喜んでいただきたいです。さっそくジャガイモを使った特製コロッケがメニューで登場しました。大好評だったのは言うまでもありません。(竹内高子)
9月26日、非営利活動法人(NPO法人)について学習会をしました。メンバー、運営委員、スタッフ、さらにいつも支えて下さるお客様もクッキングハウスの将来を考えるために集って下さいました。
山岸秀雄さんはアメリカで出会ったNPOの仕組みを日本に持ち帰り、NPOを日本に根づかせる活動をされています。NPO法が1998年に制定されてから10年。日本には35,000法人が誕生していること。NPOが発展していくことによって、「市民」「行政」「企業」が対等な関係で社会をつくることができるとお話してくださいました。
NPO法人格や新しくできる公益法人格の制度は、行政や企業と対等にかかわりあい、自分たちの理念を実現していく道具であると考えればよいこと。これからの時代のNPOは、自分たちが社会に対してどのようなことができるのかその「ミッション」をもち、マネージメント・資金調達を自分たちの活動をPRしながらしっかりすることが大切だと話されました。
クッキングハウスは法人格を持たないで活動してきましたが、ミッションを持って公益性のある活動を目指してきました。これからの私たちに必要なのは、まさしく事業のマネージメント能力、そして資金調達のためのプレゼンテーション能力なのではないかと身の引き締まる学習会になりました。現在「将来を考える会」で考え始めたことを、今回の学びを生かして具体的にしていきたいと思います。(林由佳里)