クッキングハウスからこんにちは No.118

目次(青字の記事を抜粋してあります)2008年2月12日発行

目次


巻頭言「クッキングハウスの家がほしい」・目次…1、動くクッキングハウス「中国」「タイ」の旅・・・2〜4、
トピックス・・・朝日新聞「ひと」・新刊の反響・「統合失調症を生きる」4刷・・・4〜6、
レポート・・・父親の学習会・スペシャル対談・昼のスペシャルSST・メンタルヘルス報告・・・6〜9、
イベント・文化学習企画 メンタルヘルス講座・織座の話・紹介・スウさんピースウォーク・・・9〜11、
各地からありがとう・松浦幸子講演スケジュール・・・12


<動くクッキングハウスin中国への旅 >
劇団文化座ツアー“天国までの百マイル”

 20周年を祝う会に駆けつけてお祝いの言葉を下さった文化座・佐々木愛さんの「天国までの百マイル」(浅田次郎原作)中国公演に、応援団としてついて行きました。「天国までの百マイル」は、亡き夫セーヤンと2004年3月俳優座で観た最後の芝居だったので、私の心の中にずっと強い印象として残っていました。

 重い心臓病の母を何とか助けたいと、事業に失敗し家庭も壊れた失意の息子が、千葉の名医がいるという病院まで母を連れて行くドラマ、もう一度生きてみようという自己再生の物語です。この芝居を中国の人たちがどんな風に観てくれるだろうか、一緒に共感してもらえるだろうか、ということにも関心がありました。

 10年ぶりに訪れた北京は、まるでニューヨークが巨大になったような、とにかくどこまで走っても大きなビルだらけの町になっていました。建設ラッシュでやたらとクレーンが目につきます。経済の活性化に国中のエネルギーが沸いている感じです。経済は、人を希望に向けさせるのでしょうか。表情も服装も、明るくなった印象です。


 夕方、演劇が始まります。長安街にある北京芸術劇場は、新しいビルの中で古く見えます。観客は、若い人がいっぱい。医科大学の学生も観に来ていました。モデルになった、千葉県鴨川の外山先生は、北京の大学でも教えていたのだそうです。今の医療で患者がストレスなっていることの反対のことを実践しており、海の見える展望レストランが病院の中にあるなど、明るくエネルギッシュな医師なのだと、病院を見学した愛さんが話してくれました。

 中国の観客の方はとても素直で、マリー役の素朴な愛情表現に笑ったり、拍手がおきたり、わかる日本語がでてくるとすぐに復唱したり反応が早い。人間の織り成す深いドラマは、国が違っても一緒に共感しあえるのです。中国の北京の人たちと、劇場で共に時間を過ごせていることに幸せを感じました。


 次の公演先の、旧満州・ハルピンに飛行機で移動。ロシアの国境に近く寒い。松花江の大きな河は、すでに厚く凍っている。私たちもしばしスケート場のような川面を歩きました。向こう岸に渡れば、ロシアだという。「北の人たちの冬の過ごし方です」、と買ってくれたアイスキャンディー。ちっとも溶けてこないのには驚きました。

 ハルピン郊外には、731部隊の跡が資料館になっている。つらいけれど、見ておく義務があると見学に。日本語のできるスタッフが説明をしてくれたが、あまりにも中国人を人体実験に使ったやりかたが残酷で、聞いているのも苦しくてたまらなくなりました。日本の人たちは、きちんと詫びなければならない。そして、もう戦争をしてはならない。戦争放棄を誓った憲法9条は守っていかないと、本当に詫びたことにはならないと思った。

 夕方、ハルピンの北方劇場で文化座の公演。日本語を学んでいる若者が多いという。すぐに私の隣の席の女性が、「日本語を習い始めました」と、名前や住所や家族のことを積極的に聞いてきました。芝居への反応もとても素直で、“ハンドレッドマイル”のうたが出れば、すぐに手拍子で合わせてくれ、いいなと思う場面には、拍手がわきました。何度も観ているうちに、私のこの芝居への観方も深まっていきました。子が親を思い、親が子を思うドラマを越えて、恋人マリーの愛情物語でもあり、別れの悲しみをこらえて明るく生きていこうとする励ましのドラマだったと気づいた時、みんなが立ち上がり波のようにウェイブができていく。私も一緒に立ち上がり、涙があふれました。この文化交流が日本と中国の平和への架け橋にきっとなってくれることでしょう。芝居を観てくれた若者たちに、託したい気持ちになりました。    (松浦幸子)

<トピックス>
〜朝日新聞「ひと」に紹介されました〜

「不思議なレストラン」。そう呼ばれている東京・調布にある「クッキングハウス」。
 ここで働く80人は、うつや統合失調症など心の病を抱える人たちだ。無理せず楽しく、
 接客や調理を担う。中には、キュウリを1本切るだけの人も。寝ころんでもいい。どこ
 かホッとする雰囲気の店は、小さな子を連れた母親たちや、サラリーマンらでにぎわう。
  長男の不登校をきっかけに弱者の立場で物事を考えてみたいと、32歳で社会福祉の
 専門学校に進学、精神科に長期入院した人の社会復帰を手伝い始めた。退院しても、一
 人でカップめんを食べている姿に胸が詰まった。
  一緒にご飯を作って食べよう。心を病む人たちを支援するユニークな場所作りは、3
 人の子どもを育てる母親の感性からひらめいた。20年前のことだ。さらに、一緒に作った料理を一般に提供するレストランへと発展。評判を聞きつけて北海道から沖縄まで
 年に2千人が訪れ、各地で同様な取り組みが広がっている。3年前、大きな支えだった
 夫の正行さんを不慮の事故で亡くした。悲しみのどん底で一番癒されたのが「ハウス」
 の仲間たちの言葉だった。「心のつらさを知る人たちのもつ力を、実感しました」
  年60回の講演には仲間も同行、堂々と話す。先月出版した「生きてみようよ!」では、自信をつけた仲間たちが、体験や思いを初めて実名で記した。2007年12月28日(文・朝日新聞記者 鶴見知子)


 20周年を祝う会の終わりまで観て、取材をしてくれた記者の鶴見知子さん。その後も紹介会やいつもの活動を丹念に取材し、何度も原稿を練り直す作業。「まるで3年越しの宿題をやり終えたような心境でした」という。こうしてうまれた「ひと」の記事を見つけ、全国各地のクッキングハウスを応援する会員、賛助会員、クッキングハウスと交流してくれた人たちが喜んでくれた。喜びの年賀状、ファックス、電話、手紙が続々。ハイキングや登山の仲間の「たまりば」通信で、『朝日新聞のページをめくったら松浦さんの笑顔が大きく出ていたので、一瞬ドキッとした。いろいろな新聞や雑誌で対談や行事などの紹介でよく掲載させる松浦さんですから、珍しくないのですが、朝日新聞の「ひと」欄に掲載されたのはうれしかった』と書いてくれた。レストランもお客さまがいっぱい。問い合わせや相談も多くなり、メンタルヘルス市民講座にも新しい参加者が増えた。

 息苦しさを抱えている今の社会。みんなが心の居場所を求めている。小さな居場所が20年も続いてきたことを知り、そこに希望が見えたのだろう。希望の灯をともし続けたい。(松浦幸子)

〜本邦初!ありそうでなかった、待望のスペシャル対談〜

1月27日(日)川崎市にある幸市民館で『共に生きる地域・社会をめざして』をテーマに、「べてるの家」の向谷地生良さんと松浦さんのスペシャル対談。メンバーもスタッフも、この日を楽しみに応援に行きました。対談では、メンバーの池田明弘さんが飛び入りで舞台に登場。会場からも、大拍手。その時の感想を寄せてくれました。

 僕は、この病気になり、クッキングハウスに入ってから急成長を遂げ、今に至っている。8年か9年前、「べてる」のことを知ってからその後、東京で会って刺激を受けた。精神薬も、カゼ薬と同じように偏見もなく飲めたらいいね、というヒントになった。
 そして、おととし、「浦河べてる」であった“せんせいれん”の大会に参加した。恋愛の部門で発表させていただいた。

 さて、今回の対談ですが、おもしろく、ゆかいで快活な対談になったと思う。向谷地さんが、「どうやったら統合失調症になれるか考えている」という発言に、僕は大爆笑。こんな人は初めてだと思った。それは、向谷地さんが純粋に精神病の人と一緒に暮らし、研究したいということの表れだと思う。深い人だ。「べてる」のメンバーの下野さんとのやりとりもゆかいだった。爆発グループがみんな爆発を実践したので、今は全員入院し、病院で研究しているという話もおかしくて笑った。

 結局、人間どんな状況においても「明るさ」と「あたたかさ」だと感じた。明るさで乗り越えるのって、いいな。松浦さんのようにあたたかい人との対談は、とてもユーモアに満ちていた。居場所を立ち上げてきた苦労もわかるものだった。ありがとうございました。こんないい機会を与えていただいて。(池田明弘)

〜向谷地さんと松浦さんの夢の対談が実現!〜
 会場には、20周年を祝う会に来てくださったお客様が、全国各地からたくさんいらしていました。みなさんこのスペシャル対談を楽しみに来て下さったことがわかります。

 向谷地さんは、これまでの「べてるの家」の活動を振り返り、「生きること、暮らすこと、何が大切なのかを学び直す場だった」と語っていました。飾り気がなく、ポツリ、ポツリと静かに話す言葉の端々から、30年間「最先端の苦労の集積地」といわれた浦河で、心を病む当事者と苦しみや悲しみ、喜びを共にしてきた向谷地さんの深い優しさ、強靭さが伝わってきて、胸があつくなりました。
 対談では、「メンバーと、同じ人間として付き合ってきている姿勢が、私たちは共通していますね」という松浦さんの問いかけに、向谷地さんは、「精神科医療では、『患者と距離感を保ち、わきまえたコミュニケーションを』と言われるけれども、援助者のそのような関わり方は、人とのつながりの中で生きづらさを抱えている当事者には、きついこと」と話されました。勤務時間の制限なく、メンバーと関わりつづけている松浦さんの姿と重なりました。

 「べてるの家」のメンバーの下野勉さんと、池田明弘さんの対談では、二人の絶妙なやりとりが本当にゆかいで、会場は笑い声が絶えませんでした。一緒に行ったメンバーの感想も、「下野さんにはべてるの家らしさが、池田さんにはクッキングハウスらしさが、出ていた」というものでした。最後は、皆でクッキングハウスの歌を歌い、いつもの明るさが、会場にひろがりました。「べてるの家」とクッキングハウス、共通しているところや違いを超えて、お互いに学び合えると思うと、今後がとても楽しみです。(井出歩)

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