〜総 会 報 告 特 集〜
<総会の部>
年に一度のクッキングハウスの総会は、今年も各地からお客様が駆けつけて下さり、にぎやかで楽しいお祭りとなりました。たづくり会館の視聴覚室に場所を変えての総会は初めてのことで、メンバーもいつもよりちょっとおしゃれをして、そしていつもはエプロン姿のままのスタッフも今年はエプロンをはずして晴れの日として参加しました。
今年議長を務めるのは、メンバー代表の運営委員でもある池田和子さん。総合司会を務めてくれたのは同じくメンバー代表の運営委員の丸山朋均さんです。和子さんは、失敗してはいけないと思い、総会前夜にはお家で議長の言葉を練習してきてくれました。その努力が実り、当日はテキパキと議事を進行し、初チャレンジとは思えないほど立派な議長姿でした。
クッキングハウス会、ティールーム、レストラン、クッキングスターの4ヶ所の事業報告と会計報告、事業計画と会計予算の発表に、会員の方やお客様、メンバーもうなづきながら聞いてくれました。一時間という短い時間の中での発表になるので、各所からの報告も一点にポイント絞って話します。それでも、報告したいことが山ほどあるので、ついついスタッフも話が長くなってしまいます。そんな状況に議長の和子さんは小さな声で「短めに!」と声をかけます。
質問の時間には、「クッキングハウスの今後のあり方」についてメンバーから質問が出され、「メンバーもスタッフも力をつけ道をつけてきたので、ひとりの力は小さくても、その小さな力を寄せ合っていけると思う」と、松浦さんが答えます。その言葉からは、19年目を迎えたクッキングハウスがゆっくりでも着実に歩んできたことが伝わってきます。「安心できる居場所をずっと残しておいてほしい」というメンバーの願いを叶えていくために、メンバーとスタッフ、そして全国各地から応援して下さっている会員、賛助会員の皆さんと共に、今年も明るく元気に前向きに励んでいきたいという思いを新たにしました。今年も一年よろしくお願いします。(小林葉瑠)
<講演会の部>
『いのち抱きしめて』(日本評論社)が2002年5月に出版された時、いのちの尊厳を可能な限り実践尽くした田沼祥子さんの記録と、それをあたたかいまなざしで見つめる田邊順一さんの写真記録に、「人間の尊厳」という高らかな交響曲を聴いたような深い感動に心が揺さぶられました。それからずっとクッキングハウスのみんなと一緒にお二人のお話を聴きたいと願ってきました。
ようやく念願叶って、2006年総会記念講演で実現したのです。13年間も、自宅介護を相当なエネルギーでやり尽した田沼祥子さん。一時は体調を崩したものの、今はプールとソシアルダンスで身体を鍛えておられるそうです。
「いい世の中を作って、若い人たちに残したいのです。そのためには、頭を使うから身体の上にあるのが頭だから、身体を健康にしなくては、と運動をしています」と語る、78歳の田沼祥子さん。髪の前のほうを赤く染め、とてもおしゃれ。今も編集者として『脳とことば』(日本評論社、岩田誠著)をわかりやすくまとめられたり、いいお仕事をされています。
講演は、田邊順一さんの写真90枚をスクリーンに見ながら、二人が思い出を語っていくというスタイルです。本と違ってスクリーンに大きく映し出されると、すごい迫力。戦争を体験し、原水爆禁止を生涯の仕事にされてきたという夫の経済学者田沼肇さんの顔が、どんな重たい障害になっても、希望に満ち輝いているのです。コンサートに行く時、身体のどこも動かすことができなくて全面介助をうけながらも、語れなくても意識は澄みきり、人間としての誇りに満ちているのです。こんな表情を晩年の2年2ヶ月撮ることができたのは、「老い」をテーマにかつて東北の農村を歩いたり、一人の人生を10年も追い続けてきた田邊順一さんだからでしょう。改めて、大変貴重な仕事をされたのだとわかりました。
「どんなになっても生きていてほしい」「どんなになっても社会活動を続けたい」田沼さんご夫妻のこの気持ちから、さまざまな工夫とその実践は、人間の可能性に限界がないことを教えてくれます。
・ 朝夕は、ヘルパーさんのスポットサービスでちゃんとパジャマを着替えてリクライニングシートに。3時間おきの体位変換も必要。
・ チューブ栄養になるところを、最後まで危険でも口から食べる工夫をしたこと。寿司屋さんが一口で食べられる握りを作りに来てくれた。好きな食べ物は、むぜずに飲み込めることを発見。
・ おしゃれをする。みじめな格好をしない。せめて胸を張って生きていこう。
・ 祥子さんが過労でうつ病になっても、妻のほうが入院し、夫は自宅での介護を守った。
・ 自宅の風呂をミニプールに改修し、毎日入浴。嬉しそうな顔をする。支えれば、水の中では立てることもわかった。
・ 車椅子に音楽テープをセットして、音楽付車椅子に。「聴こえる」という健康な面を最大限に発揮できるようにした。
・ 車椅子に乗った時の転倒防止に、競技選手用のヘルメットを用意し、荒れた天候以外は毎日外に出た。
・ 社会政策学会でも、メッセージを出した。大脳は働いていたので、うなずいたり首を横にふるサインで文章を作った。
・ 社会活動に参加し、刺激を受けることで寿命を延ばした。
・ いつでも本を読んであげた。一つでも健康なところがあれば、人間はやっていける。
こんな介護の中で奇跡的に13年間いき続けることができた田沼肇さんの告別式は、日本フィルハーモニーがモーツァルトのクラリネット五重奏を繰り返し演奏してくれたという。相当な困難な状況でも、おかれた環境の中で最大限努力することで人間は変わっていける。「闘いは、明るくやっていきましょう」にたくさんの勇気をもらいました。(松浦幸子)
<感想から>
私は、田沼祥子氏・田邊順一氏の講演を聴いて、深く感動した。身体が不自由ながらも、一生懸命前向きに生きている姿に刺激を受けた。私も同じように身体・聴覚・精神が不自由だからだ。クマ膜下出血で倒れた時、死を宣告された。しかし、神様は生きる道を与えてくれ、よちよち歩いている。8年間孤独な生活を送り、縁あってクッキングハウスに出会えた。今回の講演を機に頑張ろうと思った。(宮島真弓)
メモをしながら聴きました。一番心に残ったのは、「とにかく外に出ましょう。どんな障害があっても外に出て、社会活動をして下さい」という言葉です。(那波)
ひと部屋分をお風呂に改造したという行動力。明るく闘っていきましょうに大いに励まされました。(高橋)
「いのち抱きしめて」がいい言葉だった。わかりやすくてよかった。(勝田)
何時もながら、いい会に参加できて楽しかったです。お仲間に入れてくださり感謝です。歯切れのいい丸山君の司会、池田さんの議長で手際よく進められました。6月の私たちの総会のモデルになることでしょう。交流会では、踊りあり、歌ありのにぎやかさ・・・そして、新たな出会いもありの楽しいひと時でした。
これからの福祉は厳しい時代をむかえますが、前向きに希望を捨てずに歩んでいってほしいと願っています。私たちも後退する行政福祉の中だからこそ、新しい市民福祉のあり方を創造できると信じて「ままや」をやっていこうと思います。(ぎいち君・悠君と一緒に参加してくれた「ままや」の平田ゆかりさん)
<交流会の部>
レストランに会場を移しての交流会は、連根のはさみ揚げ・鶏肉と車麩の治部煮・ポテトサラダ・蕗の煮物・ガーリックトースト・豚の耳(ミミガー)と手作りチーズのオードブル・はちみつ漬け夏みかん・玄米赤飯とたくさんのご馳走です。関川村の平田さんから豚の耳と手作りチーズ、平山さんから水饅頭、片桐さんからお酒とサニーレタス、新潟三条のボランティアグループ・ふきのとうのみなさんから車麩、新潟の酒井昭平さんからは蕗を頂きました。たくさんの方々の気持ちが一緒にテーブルに広がりました。
恒例の一芸大会では、みんなの芸達者ぶりにいつも大笑いです。きよみさんが笠木さんの歌を、岩渕さんは縦笛を吹き、豊川さんは、クラシックを高らかにうたい、あい子さんはハミングで美声を披露、宮島さんは赤いスイトピーを歌ってくれました。宴会部長の吉岡さんと関川村の平山さんが「青い山脈」と「赤い靴」の替え歌を歌って踊れば、会場は爆笑の渦。プロカメラマンの田邊さんが思わず携帯電話で写真を撮ってしまうほど。松浦幸子研究会会長の平田さんの「松浦さんの物真似」はまさに芸術の域。斉藤さんの熱唱「大きな古時計」、宮川さんは得意の小話。講演会で私たちに元気と勇気をくださった田沼祥子さんも、丸山君の六大学校歌に合わせて口ずさんでいます。今度は私たちが楽しい時間をプレゼントできたのかなと、とてもうれしくなりました。
最後は「ピースナイン」を踊って、「不思議なレストラン」を輪になって合唱しました。美味しい食事を囲みながら、にぎやかに一緒に踊って歌って、今年もクッキングハウスらしい交流会ができました。メンバー、スタッフが共に作り上げてきた「場の力」で、各地から来てくれたお客様に元気を贈ることができた一日となりました。 (竹内高子)
<レポート>
キミコ方式で絵を描こう・教え方セミナー報告
〜雪景色で逆転の発想〜
オリンピック青少年センターに、全国各地からなつかしい仲間たちが集まってきました。クッキングハウスのクッキーやアクセサリー、本の店ももうお馴染みで、お土産に買って帰る人もいます。細かい部分を描くために、メガネチェーンをほしがる人も多いのです。
初めて、欅の木を描きました。太い幹のところは、木の肌を触りながら色違いも見つけて少しずつ上に伸びていったのですが、枝分かれにきたら途端に難しくなってきました。後ろに見える枝と前の枝と、枝の違いを描き分けることや枝の流れがわからず、途端におもしろくなくなりました。「わからないと、つまらなく感じるのだ」とわからない人の気持ちを実感。そこへ、講師の京子さんが「失敗したのを直すのが生きがいだから、私に生きがいをくれてありがとう」と明るく言いながら、筆はどんどん直しを入れていきます。私のみじめだった思いを救ってくれる言葉をかけ、ほっとさせるこういう配慮とためらわない行動が本当にプロだなあと感心。
木を描くことに私のように悩んでいた人も、うまく描けたと満足していた人も、なんとこのあと一面雪景色に変わることになったのです。白色を画面いっぱいに、雪の点々でおおっていくのです。流れがわからず、迷っていた枝にも雪がいっぱい。絵の具を落として大きなシミになっていたところも雪で包まれ、あったかく落ち着いた雪景色で逆転の発想。これは人生の考え方にも当てはまるだろう。とても楽になれた体験でした。(松浦幸子)
ちょうふだぞうの調理実習も3年が経過
〜教えることの楽しみを感じながら〜
知的障害を持つ人たちの通所授産施設「ちょうだぞう」の方たちのために、毎月1回講師として調理実習を担当するようになって今年で4年目。たづくり会館10階の調理実習室には、調理台が4つ。各台に4〜5人の方たちが料理やケーキ作りを楽しみに待っていてくれます。
6月3日(土)は「温かいスフレケーキ」と「オレンジジュース寒天入りのフルーツポンチ」を作りました。この日講師デビューの田中さんと、もう何度も教えているベテランのケイさんと参加しました。卵白を一生懸命泡立てるメレンゲ作りは、手がすぐに疲れてしまうのでみんなが交代で泡立てます。ちょうふだぞうのメンバーの方たちも包丁の使い方に慣れ、フルーツの皮むきも上手になり、切り方も小さくサイコロ状にできました。時間配分もちょうどよくて、3時には出来たてふわふわのスフレケーキの試食ができました。(田村陽子)
今回、初めて調理実習に参加しました。どのような場になるのか参加する前はわかりませんでしたが、参加してみると思っていたよりリラックスできグループに入ってゆけました。料理教室という感じで、楽しく料理でき、出来上がった料理もおいしく満足できた実習でした。(田中信一郎)
私は、何度かちょうふだぞうの調理実習に行っています。最初の頃は包丁を持つのも心配だったメンバーの方に、手を添えて切る練習をしてもらいました。今では、そのメンバーさんもひとりで上手に切ることができるようになり嬉しくなりました。調理実習で教えながら、クッキングハウスが役に立っているんだなと思いました。(ケイ)