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屋久島旅行集合イラスト
2004年11月屋久島旅行にて みんなで「ハイ!ポーズ」 (イラスト:斉藤敏朗)

『初めての屋久島旅行』-吉岡豊
『太古の昔に戻ったような神秘な島 屋久島への旅』-松浦幸子
『鹿児島・屋久島旅行記』
-斉藤 敏朗


『初めての屋久島旅行』

吉岡豊

私達クッキングハウスでは、毎年5月の八丈島旅行が恒例となっていたのですが、今回は初の屋久島への旅行でした。クッキングハウスはどうも黒潮の流れる島へ行くのが好きなようです。でも、今回の屋久島旅行は、ひとつひとつの思い出が、とてもインパクトの強い、印象深い旅でした。その中でも、特に思い出深かったことを書こうと思います。

2004年11月13日土曜日、午前9:50、一人も遅れることなく、調布駅前に集合し、調布から羽田空港まで直通の高速リムジンバスで行き、空港で今回同行してくださる田邊順一さんと合流し、軽い昼食をとって、先ずは鹿児島空港へ向かったのですが、鹿児島空港まで約2時間、私の隣に最近再婚し、名前の変わった、スタッフのキャサリン・竹内が座り、どうも彼女は飛行機の揺れが苦手のようで、離着陸の際、『あーもうダメ』『もう絶対飛行機には乗らない』と叫んでおられましたが、でもまたきっとキャサリン竹内は、こりずに飛行機に乗るでしょう。

そして鹿児島空港でフォークシンガーの笠木透さん、増田康記さんと合流し、少し遅れて、前日から鹿児島に来て、この日に講演のあった松浦幸子さん、斉藤敏朗君、 小林政利君とも合流し、午後5:30にやっと屋久島に着きました。 屋久島空港には、今回私達が3日間宿泊する民宿の柴鐵生さんが迎えに来て下さっており、屋久島で借りたレンタカー2台に分乗して柴さんの経営する『屋久の子』に行き、その日は美味しい夕食を頂いて、寝ました。夜、寝る前に外に出て見上げた夜空は、東京では見る事の出来ない満天の星空でした。

翌日は、朝食をとって午前9:00に宿を出て、車2台で柴さんの案内で舗装していない山道をガタゴト揺られながら垂直分布の森に行き、途中から裸足で森の中に入って行ったのですが、森に入る前、柴さんが『入る時に森の神に手を合わせてください。』とおっしゃっていたのが印象的でした。そして『この垂直分布の森を裸足で歩けるのは観光客や他の人達がほとんど足を踏み入れることがなく、ガラスのかけらやゴミなどといった足を傷つける物が無いのを柴さんがご存知だからだ。』と増田さんがおっしゃっていました。

屋久島まで有名なヤクスギランドや白谷雲水峡に行くのもいいでしょうが、私は断然、この森を裸足で散策した方が良かったと思います。屋久島の自然を本当に身体全体で感じる事ができ、感動しました。笠木さんは、この静かな森で私(吉岡)だけが騒いでいるのを見て『お前がいなければ静かなのになあ』とおっしゃっていました。すいません。

その日の夜は夕食をとって、笠木さんの20年来の友人でもあり、屋久島で民宿『晴耕雨読』を経営していて、やはりフォークシンガーで『ビッグストーン』という名前のフォークグループのリーダーでもある長井三郎さんが企画して下さった、笠木透&雑花塾そして『ビッグストーン』のジョイントコンサートが宮之浦公民館で行われました。面白かったのは、コンサートの後の二次会というか三次会で、長井さんの友人で屋久島に住むなかしませつこさんという女性が踊り付きで歌ってくれた『青い山脈』の替え歌でした。これにはマイッタ。帰ってからも私の頭の中でずっと鳴り響いていました。結局、私は宿に戻らず、笠木さん、増田さんと共に民宿『晴耕雨読』に泊まりました。

そして3日目。この日は田邊順一さんが一日早めに帰られると言う事で、朝、宿に戻って見送った後に朝食をとり、また車2台で湯泊と言う所の海を目前にした、ほとんど混浴に近い、海岸の温泉に行ったのですが、服を着替える所も無く、女性陣は大きな岩陰で、『見ちゃダメー』、『こっちに来ないでー』とキャーキャー騒いで服を脱いでいって、私達男性陣、山田君、斉藤君、小林君達と皆で、『誰が見るか、あんなの見たくもねえ』と言いながら、内心私は見たかったです。

その岩風呂温泉も、男性と女性の風呂の間に小さな柵があるだけで、屋根も何も無く、女性陣は入ってからも『ワーワー、キャーキャー』騒いでいて、私達男性陣は人数的にも負けていたのもあって、そそくさと上がってしまいました。ああいう時は女性の方が強いのは何故だろう。でも天気も良くて、海を眺めながらの露天風呂、本当に気持ち良かったです。でも見たかったなあ〜。
 そして昼食は皆でラーメンを食べ、宿に戻って少し休んで夕食をとった後、屋久島の家族会の方々との交流を兼ねて『屋久の子』で、笠木さん、増田さんのコンサートをやりました。その後の2次会では、松浦さんと柴さんが30年以上前、法政大学時代に二人の間で何があったかを笠木さんが追求して、恥ずかしそうに松浦さんが『本当に何も無かったんです。』と言っていたのが印象的でした。松浦さんは学生の頃、今もお綺麗ですが、当時も本当に美しかったそうです。
 そして最終日、皆でお土産を買ったりして、屋久島から東京に帰って来たのですが、先発組の飛行機が整備不良で鹿児島空港を飛び立つことが出来ず、結局、福岡までリムジンバスで行って、夜中東京に戻ってきたりと、本当に最後の最後まで印象深い旅でした。

屋久島の方々は、本当に底抜けに明るくて良かったなあ〜。4日間、お忙しい中、屋久島を案内して下さった松浦さんの御学友でもある、民宿『屋久の子』の御主人、柴鐵生さんには、本当にお世話になりました。61歳でまるで屋久島の仙人のようでした。

私もまたいつかきっと屋久島に行こうと思います。本当に充実した旅でした。
『あ〜楽しかったなあ』

P.S 今回の屋久島旅行、笠木透さんのコンサートが、2日目、3日目の夜あった事で、人間、後にあった事が印象に残るようで、一日の最後に笠木さん、増田さんのコンサートがあると、その日一日あった事をほとんど忘れてしまい、どうも私は、笠木さんの追っかけで屋久島に行った感がぬぐえません。帰ってから松浦さんも同じような事をおっしゃっていました。でもまた一緒に行って下さい、笠木さん。

太古の昔に戻ったような神秘な島 屋久島への旅 

松浦 幸子

〔青春時代からの細い糸がつながって〕            
30年以上も、憧れながらも行くことができずにいた屋久島。2004年11月13日に、とうとうクッキングハウスの仲間達と、笠木透さん、増田康記さん、写真家の田邊順一さんと共に実現できたのだ。しかもクッキングハウスらしい、にぎやかでマイペースで、思わぬ出会いと交流ある旅として。

私は、法政大学の夜間部にいた20才の頃に九州の南に屋久島という自然の豊な島があることを知った。中国研究会で魯迅研究に仲間と夢中になっていた時、屋久島出身の柴鐵生さんも、仲間の一人だったからだ。
5才年上の柴さんは、他大学からうつってきたものを深く考える、青年というより、ぐんと大人の雰囲気をもっていた。柴さんのアパートにはいつも屋久島出身の若者達が集い、それぞれの近況を伝え合ったり、島の未来のことを真剣に語り合っていた。

当時、高度経済成長の波にのり、大切な世界遺産である、太古からの屋久杉が、どんどん伐られていたのだった。東京に出てきてみてはじめて故郷の価値がわかる。私も新潟の小さな村を「こんな閉鎖的な、暗い人間関係のところはイヤだ!」と否定し、東京にでてきたが、離れてみると、故郷のふところの深さがわかってくるから、屋久島の青年達が集まってきて、故郷の島のことを語る気持に共感できたし、集まれる場をつくっている柴さんをすごいな、と尊敬した。
 それから70年安保、大学管理法案、ベトナム戦争と学生達は怒り行動し、大学は混乱。ロックアウトが続く。
 私は学生結婚し、子どもを産み、赤ん坊の息子をそばに置きながらの家庭教師、卒論書き、子連れ教育実習と忙しくなり、柴さんのその後のことは仲間から時々聞くだけになって、年数がたっていった。
 娘の素子が環境問題を考えたいと東京農大の学生になり、全国各地を自ら、農業実習に行くことにしたというので、「柴鐵生さんという学生時代の友人がいるから訪ねていってみたら」と紹介した。娘を通して、交流が再会した。思いがけないことだった。
 柴鐵生さんは町議を7期勤め、屋久島の自然を世界遺産として守る運動をやり続けていた。屋久島は世界自然遺産に指定された。大変な粘り強い運動だったことだろう。プロジェクトXにもその長い活動のプロセスが紹介され、テレビで懐かしい顔を見ることができた。
 そしてクッキングハウスのレストランにも、東京に用事で来た折に訪ねてきてくれたりした。珍しいパッションフルーツをおみやげにいただく。
 青春時代からの細かい糸が、切れずにつながり、こうして実現できた。人との出会いがいかに大事であるかをあらためて感じる。柴さんも私もそれぞれ大学時代の闘いを、自分の足元で、できる形で、やり続けてきたのかな、と思う。

〔豊な自然と神秘な島〕
桜島の真上を飛行機は飛び、種子ヶ島をすぎると緑の島が見えてきた。美しい青い海に浮かぶ周囲132km、面積500km2、すりばちを伏せたような形の、九州最高峰1936mの宮之浦岳、永田岳、安房岳のそびえる島。冬の気候もあり、雪も降る。山を降りると亜熱帯気候で照葉樹林が明るい緑で目を和ませ、ハイビスカスも咲いている。何よりも優しい気持にさせてくれたのは屋久島芙蓉の花、薄ピンクのしぼりのような花が島の至るところに咲いていた。

永田の狭い道(自然を守るために道を広げないのだという)を走ると、小粒なサルと鹿が遊んでいるのに出会う。みんな表情がちがう。私達人間をどんな風に思って眺めているのかな。恐がりもせず、自然体でたわむれているのをみると、長いこと、島の人間と共生してきたからだろうか。
海がきれいだ。陽がさすと、一面海がきらきら光って、どこまでも広がり、ああ、私達は地球に生きていて幸せ、と感じる。

中間ガジュマルのトンネルのすごさに感嘆の声をあげたり、フルーツガーデンを見学したりして、極めつきは、湯泊での海中温泉だ。干き潮になると岩の中からあらわれる温泉。恥ずかしがってためらっている女性達に裸になって入ろう!と私と林さんは、真っ先に入っていくと、みんなだんだんと、だいたんになってきた。柴さんが「水着で入ったりしたら、この土地のやり方に反するから、かえって怒られるよ」と言っていた。郷に入れば郷に従うのだ。

裸になって入ってしまえば、もうこんなに気持ちいいことはない。波の音を聴きながら、海の風と陽の光を心地よく感じながら、とにかくにぎやかなこと。岩のもっと向こうに行くと、熱い湯が沸いているというので、裸の行進。前を隠して後ろ隠さず。とがった岩の上を痛い痛いと悲鳴をあげながら渡って、入ってみたらぬるいこと。   また裸の行進で元の岩風呂に戻ってきたが、吉岡、斉藤、山田君の3人は女性のにぎやかさに圧倒されて、さっさとあがっていた。
柴さんはよほど待ちくたびれたのだろう。腕を組みながら「屋久島の人もゆっくりだけど、クッキングハウスの人はもっとゆっくりだねぇ。」と苦笑していた。
私達は久しぶりに、思いっきり笑って裸の付き合いをした。だから旅はいいねぇ。

〔太古の森へ〕
森林保全センターに山に入ることの許可を求めて手紙を送っておいたのでカギを借りることができた。大川の滝の奥の上流の方へと車は登る。どこまで走るのか、ひたすら、揺られる、この林道は歩くと3時間半はかかるとか。猿や鹿に会いながらの旅。森に入る時、裸足になり、ヒル除けににがり液をかけてもらう。

山の神様は良いこともするけど、悪さもするからお祈りしてから入ります」と柴さんが言うので、私は、一心に、みんなが無事に帰れますようにと祈った。なぜなら、この森は、私達が、段々太古の昔に戻っていってしまうような、妙に恐ろしいものも感じたからだ。垂直に下りていくと錯覚してしまうほどの急斜面。木村早苗さんの手をつなぎ、柴さんのうしろを迷子にならないように必死に歩く。こんなところに置いていかれたら、みんな生きては帰れそうもない。

そびえたつ屋久杉に出会った。ただぼうぜんと見上げるだけ。柴さんが、新しい島の三岳焼酎を木にかけ拝み、私達にも飲ませてくれた。
よくも来れたものだ、と思う。柴さんの案内がなかったら果たせなかったこと。大地をいたわるように、裸足でそっと踏みながら歩いていたら、ぽかぽかと足の裏が温まってきた。いつも冷え性で、二重に靴下をはいている私にとって、はじめてのぽかぽか体験。自然から元気をもらったようだ。ヒルがいつの間にかふくらはぎに吸いついてきて、ぽろっと丸くなって落ちてきた。

〔一品もち寄り、屋久島コンサート〕
宮之浦公民館で、夜はコンサート。長井三郎さんという笠木透さんの友人が、ビッグストーンというフォークグループをつくっている。"一本の木"のうたで、笠木透さんの「我が大地のうた」の本で、長井三郎さんのことは知っていた。どんな人だろう。一見、ひょうひょうとした感じのおじさん。晴耕雨読という素泊り民宿をやっている。歓迎「笠木透とクッキングハウス」と入口の黒板に書いてあった。

どんなコンサートになるのだろう。島の人たちが、大人も子どもも一品もち寄りでやってきて、くつろいだ様子で、座ぶとんに座る。我があい子さんが、屋久の子の作務衣を着、クッキングハウスの名札を胸につけ、島の人のもち寄った料理を配り、コンサートの間中、すすめて回っている。島の人より、もっと自然に島の人になっている。草もち、とび魚のさつま揚げ、さば節、島料理がおいしい。本コーナーには、木村さんと竹内さん。意外なことに本がよく売れ、足りない位。木村さんが上手に「サインします」と、売りさばいている。

クッキングハウスの出番。私の一言紹介と、不思議なレストラン。吉岡君の「君はひとりぼっちじゃない」 会場のみなさんが、よく聴いてくれている。私達も、心を合わせて一生懸命うたう。島の人は乗りがいい。ビッグストーンのうたに合わせて踊りがでる。紙を小さくちぎって、桜吹雪にしたり。どんどん、島焼酎飲みながら楽しんでいる。あっという間に、夜の10時過ぎとなった。

それから、晴耕雨読での二次会。チャームポイントでの自己紹介も、1つ1つの言葉にのりのいいこと。朝子さんが、「とても照れやなんです」と、顔を赤らめると、「好き!」とすぐに声があがる。チャームポイントで、お尻を見せる人もいる。コンサートで、よく踊っていた人は、町議だというのでまたびっくり。

増田さんは、「クッキングハウスの運転手です」と紹介。田邊さんは、「クッキングハウスの写真部長です」と、私達の仲間になってくれているのが嬉しい。とうとう、笠木さん、増田さん、吉岡君は朝帰りしてきた。

〔屋久の子での交流会〕
屋久島の家族の会の人たちに、保健師さんが声かけてくれ、夕食後の民宿"屋久の子"に集まって下さった。柴さんの提案で、クッキングハウスの"にんじんケーキ"を竹内さんが作って、家族のみなさんに食べてもらう。鹿児島でのNPOかれんの講習会に、わざわざ島の人たちが出てくるのは大変なこと。せっかく私達が、屋久島に行くのだから交流し、クッキングハウスの活動を伝えたり、メンバーの話も聞いてもらい、コンサートもやって、交流したいと思った。

更に、柴さんが声をかけて、永田に山村留学している親子も来てくれた。各地から、親子で屋久島に来ているので驚いた。東京では、アトピーで体をかきむしって、血だらけになっていた男の子が、屋久島ですっかり健康な皮ふに戻っていた。伸び伸びしている。お母さんも、切っぱつまって屋久島にやってきたのだという。
屋久島は、よその土地からやってきた人が沖縄より多いのだという。開放的で、受け入れに寛大で、住みやすいのだろう。

それにしても、私達が島に来たことで、交流のきっかけができたことは嬉しかった。メンバーも、それぞれ、自分のつらかった時のこと、クッキングハウスに出会って元気になれたこと、今は、生きていくことが楽しめるようになったことを、自分の言葉で語っていた。

木村さんが、一番先に手を挙げてくれたこと、小林君が、もう原稿を読まずに語れたこと、吉岡君の本の宣伝のうまくなったこと。いつの間にか、みんなが一段と話が上達していることに驚く。私達は、笠木さんのコンサートも二晩続けて聞くことができ、私達も出番をつくってくれて、最高の幸せだった。コンサートツアーといってもいい位だ。

〔鯖の刺し身を初めて食べた〕
民宿屋久の子は、永田の浜辺にあり、波の音が快地いい子守り唄になってくれる。明治28年、台湾への船が開航した時に建てられたという、屋久島灯台がみえ、口永良部(くちのえらぶ)島が、すぐ近くに見える。宮之浦港から、船で1時間40分で着くという。そして、6月には永田浜に海亀が産卵にやってくるという。太平洋を一周するほど泳ぎ回って、産卵する浜をちゃんと覚えていてやってくる。そして、産卵が終わると、海亀が涙を流すのだという。

私達は、屋久の子の、杉の香りと木の節目が一枚一枚芸術的な、自然の家に3日間泊まり、地元のおいしい手料理をごちそうになった。ごま鯖の刺身を、毎夕、ごちそうになったことが忘れられない。しめ鯖しか食べたことのない東京の私達にとって忘れられない、新鮮な刺身。さば節や、とび魚のさつま揚げも、地元の料理だ。自然の会席料理だった。スタッフのみなさんの心尽くしが嬉しい。料理には、島の三岳焼酎のお湯割がよく合って、毎晩飲んでしまった。島の暮らしは、台風も多いし、けっこう厳しいものがあるだろう。医療も十分ではないという。

でも、屋久島には、訪れる人を広い心で迎えてくれるあったかさと、長年月の間につちかわれてきた、本物の豊かさがあった。腕を組みながら、黙って、じっと私達を見守ってくれていた、柴鐵生さんの姿とともに、いつまでもなつかしく、思いだすだろう。

本当に、ありがとうございました。

鹿児島・屋久島旅行記

斉藤 敏朗

南の国へ―鹿児島  九州へは、これで2度目の上陸になります。空港から約1時間ほど車にゆられながら、市街地へと向かいます。途中の車内で運転手のながたさんから、ウコン茶をいただきました。疲れた体にしみ入るようなおいしいお茶でした。(地元の天然水で入れてくれたんです) 鹿児島市街に入ると、ビルが立ち並び雑然とした雰囲気になりましたが、なんだかなつかしい感じもするのは、やっぱり都会人と思いました。

最初に行ったのは、桜島も近い錦江湾作業所という所です。ここでは、プルコギを中心とした多くの料理を出して頂き、鹿児島へやって来たことを、(たくさんの人たちから)歓迎していただきました。食事後には、地元の踊り、鹿児島おはら節と青春ハイヤを教えてもらい、その場で輪になって踊りました。なんだか笑いが絶えませんでした。 錦江湾作業所をあとにして、次に向かったのは桜島。そのまま車でフェリーにのったまま出かけられるのは便利です。

車に乗ったままフェリーに乗船できるので、車でと桜島に渡ることが出来ました。林芙美子文学碑、湯ノ平塔台と回りました。また塔台からは、山の稜線に沈む夕日をみることができました。(とくに美しい夕日は、何とも言えない時間)とても美しいと感じて、しばし無言。

鹿児島へ戻るとすでに外は暗闇、車でホテルまで送ってもらいました。1日目のホテルはマリンパレス鹿児島という場所です。凄い高級感あふれる部屋には、すごいの一言です。  ホテルでは、翌日のシンポジウムを主催された方達の歓迎会に招かれました。ここでも豪華な夕食。新鮮な魚貝をつかったおいしい鍋は、とても美味でした。ホテルの部屋では、小林さんと一杯のみました。

2日目は、市内にあるかごしま市民福祉プラザでの講演会&交流会。300人以上の方達の前で発表すると聞いていましたが、実際に会場に着くと予想以上の広さで、こんな大きな会場でちゃんと発表出来るのかなぁ、と不安になりました。午前中は、松浦さんの講演があって、最後に松浦さん、小林さんと3人で不思議なレストランを歌いました。昼食時間を挟んで、午後からは、いよいよシンポジウムです。

まずはじめに、ウォーミングアップで、前日に錦江湾作業所で教えていただいた地元の踊り、鹿児島おはら節と青春ハイヤを、みんなで踊りました。会場に大きな輪が出来て、見よう見まねで踊りましたが、Yシャツにネクタイで踊るのは不思議な感覚でした。 そして、シンポジウム。 地元の3人の方が、まずは発表しました。みなさん、自分の体験談を堂々と、明るくお話しされていて、いつもその場で思った事を話してしまう僕は、焦りました。急いで、言おうと思っていた事を箇条書きにして、テーブルの前に置きます。

いよいよ、自分の番です。 「みなさん、こんにちは。クッキングハウスのメンバーの斉藤です……」 ここからは必死だったので、上手く話せたかどうか心配ですが、良かったよ、と言ってもらえました。 次は小林さん。堂々と語っていて、すごいなぁ、と思いました。シンポジウムが終了して、屋久島に向かうために、再び車に乗りました。鹿児島市街をあとにして、空港への道を進みます。 帰りの車の中でも、うこん茶をいただきました。 今回の鹿児島旅行は、とても良い経験が出来たと思います。忙しかったけれども、美味しいものをいただき、きれいな夕日をみて、地元の踊りも踊る事が出来ました。良い思い出です。

神秘と幻想の島―屋久島 鹿児島空港で、屋久島旅行のメンバーさん達と合流して、いよいよ屋久島へと向かいました。今度の飛行機は小型機で、プロペラがついています。小型機の方が恐いよ。と聞いていたので、ずっと不安でしたが、座った座席の近くの小窓からちょうど雲の中へ沈んでゆく夕日が見えました。桜島でみた夕日に続いて、この日も夕日をみる事ができて、飛行機もあまり気にせず屋久島まで行くことができました。(それでも着陸は恐いです)

屋久島に着くと、空はすぐに暗くなってきました。車にのって、屋久の子の家へ向かいます。途中の道路では、ほとんど対向車にも会わず、信号もほとんどありません。屋久の子の家に着くと、柴鐵生さんに歓迎して頂きました。 部屋割りが決まって、荷物をおいてから、すぐ近くの海岸へ出ました。まわりは屋久の子の明かりだけで、あとは何にもありません。見えるのは360度の星空。中央には天の川もあるときいて、思わずため息が出るほど美しかったです。

屋久島2日目は、島の奥にある屋久杉を、裸足で歩いて見にゆくという事でした。車に乗り込んで、海岸線を走りました。はじめに着いたのは大川(おおこ)の滝という所で、ほかにも見に来ている方達がたくさんいました。僕はカメラで写真を撮ろうと、岩を登ったり、滝に近づいたりしましたが、巨大な2本の滝の前では、人もすごく小さく見えて、何だか圧倒された感じです。

続いて、屋久杉を見るために道を奥へ奥へと向かいました。途中、ヤクザル・ヤクシカが姿を見せてくれて、特にヤクザルは、人間になれているようで、近くを通ってもほとんど驚きません。あまりにも平然としているので、僕の方が驚いてしまいました。 山道をガタガタ揺られながら、何十分も進んで、ようやく屋久杉へつづく道にたどり着きました。ここからは裸足で森の中へ進みます。 印のある木が何本も続いていて、その方向へ向かって歩きはじめました。道は急斜面になっていて、石が落ちていたり、木の枝が落ちていたりで、裸足だと痛いところもある上に、ヒルがいて、気をつけないと吸いつかれてしまうと聞いていました。ヒルは恐いので、僕は足が気になって、少しずつしか進めません。何度も滑って転びそうになりました。 でも、しばらく歩くうちに足の痛みは消え、逆に温かくなって、気持ち良く感じられて不思議でした。

そして、目の前には雄大な屋久杉の世界がありました。途中では、倒れてしまった屋久杉の幹の上に、何本もの新しい屋久杉がのびている姿や、成長するにつれて、何本もの屋久杉が合わさっていった様子を柴さんに教えてもらって、見る事が出来ました。自然の生きる強さ、美しさをこの目で感じる事が出来て、感動しました。 そして、道の半ばで、手作りのおにぎりとお漬け物を頂きました。とても美味しかったです。 屋久杉の森をあとにして、屋久の子へ戻る途中で、また夕日に出会いました。

夜は、公民館でのコンサートを聴きに行きました。地元屋久島の人たちもたくさんいて、盛り上がりもすごかったです。ただ、僕は疲れが出てきて、大人しく聴いていました。 コンサート後には交流会もあって、屋久島の人たちは、本当に明るく元気で、パワーのある人が多いなぁ、と感じました。

屋久島にやってきて3日目。この日は、車に乗って島を巡りました。岬に建つ白い灯台、ガジュマルの木のゲートでの記念写真、フルーツガーデンでは、南国の美味しいフルーツを食べました。植物園にも行き、いろいろな植物をノートを片手にスケッチしました。 次に向かったのは露天風呂です。岩がゴロゴロしている海岸のすぐ目の前にある温泉で、男湯、女湯のような仕切はありますが、本当に簡単なもので、ほぼ混浴です。このお風呂に仕切を挟んで一緒に入るという事で、緊張してしまい、海の方を見たまま固まってしまいました。なにやら入ったのか、入らなかったのかよく分からない感じです。 結局、すぐにあがって、逃げるように着替えましたが、海を見ようと走った時に靴が脱げて転びそうになり、動揺していると思いました。 はじめての混浴でしたが、入りにくいですね。 夜は、屋久島の家族会の方達との交流会でしたが、もう疲れきっていたので、あまり覚えていないのが残念です。

屋久島での最終日、4日目です。この日は、少し山側に入って、たい肥工場を見学させてもらったり、樹林という喫茶店で、美味しいトーストとコーヒーを頂いたりしました。樹林ではヤギと一緒に記念撮影しようと、悪戦苦闘しました。(ヤギはなかなかカメラにおさまってくれませんでした。) 屋久島環境文化村センターでは、大型映像ホールで、「屋久島?森と水のシンフォニー」という映像を見ました。美しくて、雄大な自然の世界を巨大スクリーンで見る事が出来ました。他には展示ホールもあって、屋久島に伝わる昔話や、歴史も知る機会になりました。 お土産コーナーでは、屋久杉で出来たペンたてを買いました。 今回、屋久島に行く事が出来て、とても良かったと思っています。雄大な大自然の中で、いろいろな体験をしたこの4日間は、感動しきりの4日間でした。松浦さんやスタッフの皆さんに、心から感謝したいと思います。 どうもありがとうございました。

それと、先発隊で帰る予定だった皆さんは、帰りの飛行機が大変な事になったと思いますが、本当におつかれさまでした。